小林一彦「NHK100分de名著ブックス/鴨長明『方丈記』」

NHK「100分de名著」ブックス 鴨長明 方丈記

  • 「へぇ、鴨長明方丈記』って負け組の自分語りなんだー」という驚きで手にとってみたもの。ものすごく学びが多かった。
  • 大社の御曹司に生まれながら、社会的成功を得られぬまま敗走していく人生。それも単に不遇というよりは、「いつまでも自立できない子どものようなところがあり」「鴨社内での交際を絶ったり、神職としてのつとめを怠っていたりで、あるいは周囲から愛想を尽かされたのかもしれません」という切なさが身に沁みます。
  • 47歳でやっと歌の道で大抜擢、神職でも厚遇をもらえそうなところでコミュニティに嫌われて頓挫、諸々投げ出して方丈庵へ。それでもなお回ってきたラストチャンスで源実朝の和歌の師匠になるべく東下りするもポスト獲得失敗。諦めかけた人生終盤で巡ってきたチャンス2回をものにできないのも心中察するに余りある。
  • 新発明の歌枕「瀬見の小川」を当時の権威にパクられるも、新古今和歌集には長明のオリジナルが撰ばれ、涙を流さんばかりに喜ぶエピソードも泣けてくる。
  • 「あらゆる勝負に負け、全てを失ってしまったけれど、それでも自分はここにいる。地位もない、家もない、金もない、妻子もいない。だけれど、自分はちゃんとここにいて、芸術的な感性なら誰にも負けないし、他人様に恥じるようなことも何らしていない。それどころか、自分の思想信条は、それなりにしっかり通してきたつもりだ-。そんな思いが湧き起こり、『長明ここにあり』と自分が生きた証明をなんとか世に残したいという気持ちが、人生の最後に結晶した」のが方丈記
  • 他方で、「長明は完全な世捨て人ではありませんでした。世間的には“負け組”とみなされている自分の閑寂な暮らしの素晴らしさを強調することで、豊かさの価値観をひっくり返し、俗世の欲にまみれた都会の貴族の暮らしを高みから引きずり下ろそうと試みた」、「あなた方は私のことを敗北者だと思っているだろうが、そうではない、私は負けていない-と、長明はいいたかった。『方丈記』は、すべてを悟って無常観を説く修道者の書ではなく、実は非常に人間くさい世捨て人の本」、「方丈記の特徴は、今も述べたように『高僧伝』ではなく『悟りきれていない人間』が書いた『自分史』である点にあると想います。長明は俗世から離れて、仏の教えにしたがい簡素な生活を実践します。それでも、結局『自分』というものへのこだわりから離れられなかった」という点が最大の学び。
  • 800年の時を超えてシンパシーを抱けるというのもすごいことです。中島敦山月記」にも共通した要素があるでしょうか。
  • 玄侑宗久の寄稿も素晴らしい。曰く「私は、この本の何に感動したのか。どうして涙が出てきたのだろう。それはたぶん、『方丈記』のラスト近くに現れた作者の『ゆらぎ』のせいである(中略)まるでマニフェストを述べるように、自分の獲得した理想の暮らしについて述べ立てていた自分が、急に恥ずかしくなったのだろう。長明は深く反省し、『汝、姿は聖人にて、心は濁りに染めり』とまで自分を責める。そうして長明は、深夜の庵の中で静かに深く思考し、今後も『ゆらぎ』つつ『自然』に任せるしかないのだと気づく。面倒くさそうに『南無阿弥陀仏』と二、三回称えた、というのだが、何十回も称えられたらそれも執着になってしまう。一度も称えないではこの気づきを届ける相手もいない。・・・そういうことではないだろうか」。