五代目古今亭志ん生「決定版五代目古今亭志ん生ベスト落語集”哀楽編”」

決定盤 五代目古今亭志ん生 ベスト落語集 “哀楽(おかしみ)編"

  • 図書館活用。
  • 「水屋の富」(1955年9月18日。NHKラジオ寄席)はサラッと短い噺。思わぬ小金を持って資産防衛にアクセクする現代人にも通じる普遍性。
  • お目当てだった「厩火事」(1956年1月1日。NHKお笑い東西寄席)は、「逸品」とされる八代目桂文楽と比較すると「文楽は、姉さん女房髪結のお崎の心情を描くことに全力をそそいだ(中略)一方、志ん生は、どこにでもいる女性が当然なことを言っているようにやりながら、そのやりとりの面白さを主体にしている。その間に長屋の住人らしい、ほのぼのしたものを感じさせる」(京須偕充)とのことで、やはり楽しい。
  • 「茶金」(1956年1月27日。NHK演芸独演会)はどうしても関西弁が嘘くさく、桂米朝はてなの茶碗」の端正さが思い出されて、いまひとつ入っていけない。「圓喬に私淑した五代目古今亭志ん生がよくやっていて、さすがにいい味ではあったが、やはり、これは上方の噺だろう」「大切なのは噺全体に漂うおだやかな雅味と品位である。京都の文化人・茶屋金兵衛が自ずとにじみ出ることだ。その意味で、桂米朝の高座は、-これは正真正銘、国宝級の逸品である」という京須偕充の評に完全に同意。
  • 三枚起請」(1960年2月2日。東横落語会)は、「上方噺だが、東京でも古くから演じられる」とのこと。ディスク1(1955~1956年)よりディスク2(1960~1961年)の方が落ち着いていて好みですが(落語会という場のせいもあるかも)、この「三枚起請」はどうにも調子が悪そうで、「五代目古今亭志ん生古今亭志ん朝がコミカルで楽しい」ものの、志ん生には「格好のCDがない」というのはこういうことか。冒頭の「あたくしのお後が掃除をすることになってるんで」でウケているのはどういうつかみなんだろうか。
  • 「うなぎの幇間」(1961年6月29日。NHK放送演芸会)は「八代目桂文楽の十八番」で、「野だいこの陽気と悲哀をくっきりと表現した」一方、「五代目古今亭志ん生は特異で、悲哀を排した、ふてぶてしい野だいこを造形していた」とのこと。「文楽は、この噺を練りに練って、野幇間の悲哀を描くのに成功した。客に逃げられてからの後半に焦点を置いたのである。だまされたと知って、あわてふためく様子に、芸人の悲しさが見事に出ている。志ん生幇間は、とにかく客にありつこうと必死だ。ありついてからは、取り巻くのに懸命である。あげくの果てに逃げられる。それを漫画的に横から見つめて描く。早く言えば笑い者にしてしまうのである」とのことで、散文的でドライな楽しさ。