- McKinney's Cotton Pickers「I Found A New Baby」(1929)
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- スペンサー・ウィリアムズによる有名曲。「I've」が正確だと思われます。
- Original Dixieland Jazz Band「Original Dixieland One Step」(1936)
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- 初録音曲「ディキシー・ジャス・バンド・ワン・ステップ」とどういう関係にあるのかは良く分かりません。
- J.C.Hagginbotham「Casa Loma Stomp」(1932)
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- フレッチャー・ヘンダーソンのコニーズ・イン・オーケストラ名義。コールマン・ホーキンズも参加している。
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- グレン・グレイズ・カサ・ロマ・オーケストラの1930年のヒット曲。
- Pee Wee Russell「Love Is Just Around The Corner」(1938)
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- エディー・コンドン・アンド・ヒズ・ウィンディ・シティ・セヴン名義。
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- 1920年にセントルイスに移り、陸軍士官学校に入学。1922年からリヴァーボートで演奏を始める。1924年、セントルイスでハーブ・バーガーのバンドで初録音した後、シカゴに移り、ビックス・バイダーベックやフランク・トランバウアーらと活動。
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- 1926年、ジーン・ゴールドケット楽団に加入。翌年、ニューヨークに移り、レッド・ニコルズのファイヴ・ペニーズで活動。フリーランスのスタジオ仕事も多数こなし、1937年からグリニッジ・ヴィレッジのニックスで活動。1942年にはファッツ・ウォーラーのカーネギー・ホール公演のためにエディ・コンドンが結集したオールスター・バンドにも参加した。
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- 1951年、飲酒等により健康が悪化したラッセルのためにベネフィット・コンサートが開催された。入院により健康を回復。
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- 1963年にはニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでセロニアス・モンクと共演した。1969年死去。
- Johnny Dodds「Wild Man Blues」(1938)
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- ジョニー・ドッズ・アンド・ヒズ・シカゴ・ボーイズ名義。
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- ルイ・アームストロングとジェリー・ロール・モートンによる曲。ドッズは1927年にも同曲を録音。
- The Rhythmakers「Bugle Call Rag」(1932)
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- これはビリー・バンクスのリズメイカー名義。
- Sidney Bechet「Shag」(1932)
- Jack Teagarden「Nobody's Sweetheart Now」(1935)
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- ポール・ホワイトマン・アンド・ヒズ・オーケストラ名義。
- Louis Armstrong「Wild Man Blues」(1927)
- Bennie Moten「New Moten Stomp」(1930)
- Mezz Mezzrow「Hot Club Stomp」(1937)
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- 自伝「リアリー・ザ・ブルース」で知られるクラリネット、サックス奏者。17歳の時に刑務所でサックスを学んだ。
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- 自らを「自主的ニグロ」と呼び、アフロ・アメリカンの女性と結婚、ハーレムで暮らした。
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- 1945年から1947年の間はキング・ジャズ・レーベルを所有。1948年フランスに移り、リー・コリンズらと録音。1972年死去。
- Jimmie Noone「He's A Different Type Of Guy」(1936)
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- ジミー・ヌーン・ニューオリンズ・ギャング名義。シカゴ録音。
- Jelly Roll Morton「Blue Blood Blues」(1930)
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- レッド・ホット・ペッパーズ名義。
- Bix Beiderbecke「Bessie Couldn't Help It」(1930)
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- ホーギー・カーマイケル・アンド・ヒズ・オーケストラ名義。
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- 同年にルイ・アームストロングも録音している曲。
- Bill Coleman「Rosetta」(1935)
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- ビル・コールマンのパリ録音。ジャンゴ・ラインハルトも参加。
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- ベニー・カーター、テディー・ヒルと活動、ファッツ・ウォーラーと録音を行った後、1935年に初めてフランスに行き1938年までウィリー・ルイスのバンドで活動。
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- 1939年にはインド、エジプトで活動、1940年帰国。1945年までベニー・カーター、テディ・ウィルソン、ノーブル・シスルらと活動するとともに、コールマン・ホーキンズ、レスター・ヤングらと録音を行う。自身のバンドで活動、メアリー・ルー・ウィリアムズと録音した後、カリフォルニアに移る。
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- 1946年にサイ・オリバー楽団でビリー・カイルらと日本で活動した後、スイス人女性と結婚しフランスに定住。ステファン・グラッペリやジャンゴ・ラインハルトらと活動。1957年にはドイツで客演。1966年には英国ツアー。1972年に著した自伝が2年後に賞を受賞。1970年代中盤より音楽活動を縮小。1981年、トゥールーズにて死去。
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- アール・ハインズ作曲のスタンダード。
- Buster Bailey「Kentucky」(1930)
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- クラレンス・ウィリアムズ・ウォッシュボード・バンド名義。
- J.C.Higginbotham「Muggin' Lightly」(1930)
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- ルイス・ラッセル・アンド・ヒズ・オーケストラ名義。
- J.C.Higginbotham「On Revival Day」(1930)
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- これもルイス・ラッセル・アンド・ヒズ・オーケストラ名義。
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- ファッツ・ウォーラーの曲の作詞者としても知られるアンディ・ラザフがヴォーカルを努めている。
- Henry "Red" Allen「Till The Clock Strikes Three」(1937)
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- ヘンリー・アレン・アンド・ヒズ・オーケストラ名義。
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- ルイス・ラッセル楽団がルイ・アームストロングのバックアップをしている時期の録音。
- Jabbo Smith's Rhythm Aces「Rhythm In Spain」(1938)
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- 限定復活のジャボ・スミス。リズム・エイシーズではなくヒズ・オーケストラ名義だと思われます。