- 青繦五貫文=紺染めの細い麻縄に通した一貫の束×五本。古今亭志ん生「唐茄子屋政談」でも出てきました(フジポッドお台場寄席)。
- 京須偕充は「愚かな与太郎をみんなで応援してちょっとした孝行糖フィーバーが起きる。古風な噺のようでいて現代にも通う 要素がある。三代目三遊亭金馬の超十八番で、これが往年のラジオから流れると子供まで笑って楽しんだものだ。簡潔で明快で、強引な語り口ながらどこか愛嬌 もあった金馬に磨き上げられてしまって後継者難におちいったのが、この噺の幸中の不幸のようなものだ」と賞賛していますが、こればっかりは正直笑いどころが掴めず、ピンとこなかったです。
- 同じく、「藪入り」については、「ペスト予防の懸賞ネズミ獲りはいかにも明治の時代色だが、現代にはピンとこないし、ネズミの鳴き声と奉公の美学・忠義忠誠をかけた稚拙なサゲ(落ち)はいただけない。(中略)しかし時代を超えて聴き手の共感を呼ぶのは、この噺が親子の情をしっかりととらえているからだろう。三年の間に見ちがえるほどに大人びたわが子をまぶしく見る両親の描写は永遠の落語名場面である」、「かつて三代目三遊亭金馬の十八番で、この口演がすぐれていたからこそ後輩が『藪入り』に挑戦したのだと思う」と評されていますが、こちらは本当にウルッときます。
- 「長いものを短にして着て」というのは、広沢虎造「清水次郎長伝」でも出てきましたが、意味がよく分かりません(尻端折り?)。「三年前までは寝床の中で芋を食わなきゃ起きなかった」という下りもよく分かりません。
- ライナーに、「おもしろいのは金馬という人は若い頃はなおさらのこと晩年も子どもがきらいで、親なんてなんで自分の子があんなに可愛いいのかなあ・・・・・と首をひねっていたそうですが、その子どもぎらいがああした父子の情を描き出すんですから、“芸"はまた別のものかもしれません」という驚愕の事実が。何だか騙されたような気がします。
- YouTubeに映像が上がっていました(恐らく同一音源)。「待っつくれ、声が出ねぇんだよ」のところなど、仕草で改めて泣ける。