- 著名な郭噺(いずれも吉原以外が舞台)が3つ収録されたお得なディスク。随分前からスタンバイしていましたが、先日「幕末太陽傳」を観たこともあり、良いタイミングなのでそろそろちゃんと聴くことにしました。引用は例によって京須偕充。
- まずは、「郭を舞台にして男女の心の営みを深く穿った噺」、「格別のクスグリやギャグもないのに、人の心と生きざまが自然の笑いを生む名作」、品川心中(1960年6月15日。ニッポン放送「演芸ホール」)。「幕末太陽傳」では相模屋が舞台でしたが、オリジナルの落語では白木屋が舞台。
- 「仕返しの場はあまりおもしろくないし、比丘尼と魚籠の地口も上出来とは言いかねるから、ほとんど上演されない」とのことですが、ここでも親方の賭場に現れて大騒動になるところで切っています。20分37秒とコンパクト。
- 「お染は入水した金蔵に向かって、金ちゃん、お上がりよ、お上がんなハいよウ、と甘い声をかける。女郎の習性むき出しで笑わせるが、ここの双璧は五代目古今亭志ん生(1890〜1973)と六代目三遊亭圓生(1900〜79)だった。前者は飄逸、後者は艶冶、ともに郭を知る世代のみがなし得る、特権的な雰囲気の放射である」と言われると、聴き流していたシ−ンがこの噺のハイライトのような気がしてきます。
- 以下分かった範囲でメモ。
- 北国=吉原の異名(江戸城の北に位置することから)。辰巳=州崎遊郭の異名(江戸城の辰巳(東南)に位置することから)。南=品川宿の異名(江戸城の南に位置することから)。
- 貸座敷=女郎屋。
- 板頭(宿場)=お職(遊郭)=ナンバーワン
- 紋日=江戸時代、公娼のいた遊郭で、五節句(正月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日)などの祝日や、そのほか特に定めてあった日。この日は遊女は休むことが許されず、休むときは客のない場合でも自分で身揚りをしなければならなかった。
- 移り替え=季節の衣替え。遊里などでは着物を飾り、夜具を積み上げて、ご馳走するなど出費が多い。
- 巻紙も痩せる苦界の紋日前=遊女は紋日にお客を呼びたいから、馴染み客に手紙を書いて呼ぶ。だから巻紙が痩せる。
- 玉帳=芸者・娼妓の玉代を記入する帳簿。
- 親掛かり=子がまだ独立せずに親に養われていること。また、その人。
- 「木綿針で鼻の下を突こう」「しもやけじゃないんだよ」というやりとりがよく分かりません。血を抜くということなのかもしれませんが、なぜ鼻の下なのでしょうか。
- 「蓮の葉の上で所帯を持とう」という詩的な表現の直後に「アマガエルみてぇな了見」というギャップが可笑しい。
- 続いては、「一人の女郎をめぐる三人の客の三様の姿を描く高度な噺」で「六代目三遊亭圓生(1900〜79)のすぐれた人物描写あってこそ現代に生き残ったと言っていい噺」、文違い(1959年9月16日。ニッポン放送「お好み演芸会」)。あらすじを思い出そうとすると「三枚起請」とごっちゃになります。
- 「うぬぼれとだましで成り立つ客と女郎の関係がおもしろくもかなしい。芳次郎もまた小筆というどこかの女にだまされているのではないのか。演者に技巧とゆとりがないと、話がわかりにくくなるか、いたずらに複雑なストーリーに思えるかのどちらかになる」とのことですが、スッキリとあらすじが理解できない嫌いが確かにあります。
- 以下分かった範囲でメモ。
- これもサゲまでやらず、店の手伝いを始めた辺りで「居残りの中程でございます」と切っています(22分27秒)。ラジオ放送用のせいか、「深層に自棄をはらむ刹那主義的快楽が周囲にもたらした若干の、陽性な悪の華」というような余韻までは感じさせません。
- 以下分かった範囲でメモ。
- 腹合わせ帯=表と裏で異なる布地を合わせて仕立てた女物の帯(ここでは八端と黒繻子)
- 芝や神田は粗末にならぬ末は味噌漉さげどころ=遊女が惚れた客のことを地名を詠み込んで唄ったもの。
- ややオーソドックス過ぎる取り合わせの3題で、目新しさはありませんでしたが、やはり他では決して得られない味わいと楽しさでした。