Glenn Gould 「Beethoven Piano Sonatas Nos. 30-32」

Beethoven Piano Sonatas Nos. 30-32

  • ウラディーミル・アシュケナージベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全集を聴きつつ読んでいた吉田秀和「世界のピアニスト」で、著者が「はじめてきいた時、私は耳を洗われる思いがした」、「豊かな幻想力と抒情性の結びつきに、さらに超絶的な技巧の冴えといったものが加わったものとして、勧喜をもって受けとった」と激賞していたため購入。
  • 「全体にわたっての幻想性の豊かさに、きき手はひたすら圧倒される」、「小節の枠組みと規則的古典的楽節構造の枠をこえた、自由な散文としての音楽の構造の創作に最も接近した作品として、処理される」第30番は、グールドが高く評価していたという第1楽章が印象的。
  • 「あの異形のスケルツォを除いて、名技的要素は排除されている」と軽く流される第31番に比して圧倒的なヴォリュームが割かれているのが第32番。
  • 曰く、「だが、何たるイン・テンポだろう!(中略)きき手は、ここでまったく新しい種類のそれの誕生するその場にいあわせる幸福をもつのである」、「メトリックの正確さに追従したのではなくて、何ものもおし流さずにおこない音楽の奔流のその深い生命的なものに忠実な、極度に非感傷的なアレグロである。しかも、この速さの中にみち溢れている抒情の氾濫!」、「第二楽章のアリエッタとそれにひきつづく変奏は、今度は打って変わったように遅めのテンポをとる。そのために、一つ一つの音型のもつ表情は、部類の正確さで追求され、それを実現するための《時間の場》をたっぷりと埋めるだけの自由と、それだけの責任と義務をしょいこむ。三重のトリラーの厳密な正確さのうえに、主題の独特なリズムの細かい傾きさえ、そこでは生かされなければならなくなり、グールドはその離れ業に見事に終りまで耐える。この不規則な規則性を、彼以外の誰が成しとげたろうか?いや、そんな試みをしたろうか?」。
  • ノイズが多いことと、グールド本人による解説が読みにくいことが残念。値段なりということなのかもしれませんが。