ネルソン・ジョージ/アラン・リーズ編著 「JB論−ジェイムズ・ブラウン闘論集1959−2007」

JB論 ジェイムズ・ブラウン闘論集1959-2007 (SPACE SHOWER BOOks)

  • レコード・コレクターズの紹介記事を見て、「とりあえず確保」というぐらいの意識で購入。ジェイムズ・ブラウンに関して米国の新聞や音楽雑誌に書かれた1959年から2007年までのコラム、評論、インタビューを、(書かれた年代ではなく)対象となった年代順に集めたもの。
  • 大きな期待もなく読み始めたのですが、1970年代後半以降、人気が凋落し、プライヴェートでのトラブルが増えて以降が実に面白い。というか興味深い。
  • アフリカ・バンバータとの共演「ユニティー」(1984年)、映画「ブルース・ブラザーズ」(1980年)や「ロッキー4/炎の友情」(1985年)での快演なんかによるリバイバル、ヒップホップ方面からのリスペクトの高まりや、それに伴うレアグルーヴ・ブームに伴う再評価の波なんかもあって、B.B.キング的なというか、フランク・シナトラ的なというか、永世名人のような落ちぶれようのないイメージで、2006年に亡くなった時にも、基本的にはそのままおおむね幸福な晩年を過ごしたものだと認識していましたが、今回、色々読んでみるとこの人はこの人なりに、70年代後半以降は、自分がもはやシーンの中心的な存在ではないという事実と上手く折り合いがつけられなかった辛く厳しい後半生だったんだなと、認識が改まりました。
  • ネルソン・ジョージの序文が端的にまとまっています。曰く「しかし、ブラウンは、自分がもはや文化の中心にはいないこと、時代遅れになっていることに対して苛立ちを感じていた。悲しいことに、若いころには勇敢にはねのけた麻薬が再び彼を罠にかけた。ブラウンは皮肉にも再び流行に乗ってしまったのだ。彼は、九○年代に、『コカインをもってきてくれよ』というかけ声とともに人生を台無しにした、何千人ものアフリカ系アメリカ人のクラック中毒者と同じ道を歩んでしまったのだ」。
  • 老いてなお全世界をバリバリとツアーして回りながらも喪失感から麻薬に手を出して身を持ち崩すというのは凡人の想像を絶するものがあります。音楽的な革新と黒人社会運動の高まりと自らの経済的成功が一体となって転がっていた時代の全能感がそれだけ凄まじかったということなのかもしれません。想像するしかありませんが、どんなに恵まれた状況に見えても、本人にとっては相対的に下り坂ならば辛いものなのでしょう。頂点が高かった分だけ下り勾配もきつく感じられたかもしれません。失意淡然、足るを知る、昭顧脚下などと言う小市民的な教訓は、常に世界の中心でありたい、ナンバーワンでありたいという、彼に成功をもたらした尋常ならざる闘争心の前ではおそらく無意味だったように思われます。
  • そういう視点で改めて考えてみると、ローリング・ストーンズは90年代以降、ニコニコとロック・アイコンを演じていて、それが不満だったのだけれど、ミック・ジャガーキース・リチャーズが、80年代の不和を経て、仲良く古典芸能化しているのは、たとえ音楽的な実りは乏しいにしても、人生の出口戦略としては成功例なのかもしれません。
  • 読み物としてのベストは、ロン・コートニーという人が書いたJBにもらったシミつきのハンカチを母親に洗われてしまったエピソード(「それでも、私にはライヴ・アルバムと思い出が残っている。ありがとう、ミスター・ダイナマイト」)。実に面白い。