- 現在、ロス・ラッセル「バードは生きている−チャーリー・パーカーの栄光と苦難」を読んでいるところ。ミントンズ・プレイハウスを描いた第11章前半の素晴らしさに矢も楯もたまらず購入。
- 途轍もなくヒップな音源。ジェリー・ニューマン偉い。
- 思っていた程音質が悪くない、というか、アドリブが決まらなくてオーディエンスがガハハと笑う声まで捉えていて、実に痺れます。特にモンローズ・アップタウン・ハウスの方のセッションは物凄い場内の盛り上がり。
- 「バードは生きている」によると、「チャーリー・パーカーがまだジェイ・マクシャン・オーケストラで巡業していた1941年春の初期のセッションでは、旧世代の演奏家たちは辛うじて力の均衡を保った。旧勢力はいずれも一流オーケストラでソリストとして名を挙げた無敵のインプロヴァイザー陣を頼みにしていた。」という時期のようで、言われてみれば確かに群雄割拠の状態が感じられなくもない。
- これが同年も末頃になると「そうこうするうちに、ミントンの店は、古い人間には居心地が悪くなった」とのことなのですが、この辺りの様子まで分かる録音を残していれば、益々ジェリー・ニューマン偉い、というところだったのに、と贅沢の一つも言いたくなります。
- セロニアス・モンクも初期にはこんな演奏をしていたのか、と驚きかけましたが、他人(ケニー・カーシー)説が有力な模様。
- オクラホマのローカル・ヒーローだったチャーリー・クリスチャンが、ジョン・ハモンドの斡旋で1939年の夏にベニー・グッドマン楽団に加入(同年末の「フロム・スピリチュアルズ・トゥー・スウィング」では既にスター扱い)、この録音が1941年5月で、翌月には結核でスタテン島の療養所送りですから、活躍した期間は相当短い。ジミ・ヘンドリクスを想起せざるを得ません。
- 因みに、ジミ・ヘンドリクスの場合は、1966年に渡英、1967年夏がモンタレー・ポップ・フェスティヴァルで、1970年夏のワイト島フェスティヴァルの直後に死去だから、3年強というところ。
- 「ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン」という国内盤のタイトルの方が耳に馴染みがあるのですが、現在は在庫切れの様子。詳細不明。