魚住昭 「野中広務−差別と権力」

野中広務 差別と権力 (講談社文庫)

  • 書店で見かけて気になったので購入。野中広務もすっかり過去の人になった様子ですが、こういうコッテリとした人も郵政解散以後めっきり減ってしまいました。
  • 野中広務小沢一郎変節漢−悪魔)というカルマ深き政治家が繰り広げた政局を同時代人として拝めたのは僥倖であったのかもしれません。
  • 官房長官就任時の記者会見における「個人的感情は別として、法案を通すためなら小沢さんにひれ伏してでも、国会審議にご協力いただきたいと頼むことが、内閣の要にある者の責任だと思っている」というのはもの凄く記憶に残っていました。
  • マーヴェリック小泉の大外をまくったブレイクはこの人にとっては不運でしたか。あんな調整嫌いの変人が高支持率をバックにやりたい放題やる時代が来るとは予想できなかったでしょう。
  • 「ああ、これはひょっとしたら革命が起きるかもわからん。家へ帰ったらそのまま名前が残って籍が入っちゃう。帰らなきゃ行方不明になっちゃう。もう少し、世の中の動きを見てみようかと思ってね。友達の家を一週間ほど泊まり歩いたんです」という、終戦直後のエピソードは非常に切ない。
  • 「聖教グラフ」の掲載写真(の背景に写り込んだ名画)と資産リストを照合してそのギャップを突くというのが何とも凄い。「叩きに叩いたら、向こうからすり寄ってきたんや」という発言も震え上がるほど怖い。
  • 総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にはできんわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」と糾弾された麻生太郎も今では現職総理大臣。野中広務が引退していなかったらこうはならなかったかもしれません。
  • そんな失言屋さんの麻生太郎ですが、今月号の「選択」の記事「閨閥への麻生の異常なこだわり」を読んでいると、麻生太郎麻生太郎で中々立派なカルマを背負っているようにも思えます。
  • 「全水創設から六十年ののち、部落解放のための集会を開かなければならない今日の悲しい現実を行政の一端をあずかる一人として心からおわびします。私ごとですが、私も部落に生まれた一人です。私は部落民をダシにして利権あさりをしてみたり、あるいはそれによって政党の組織拡大の手段に使う人を憎みます。そういう運動を続けておるかぎり、部落解放は閉ざされ、差別の再生産が繰り返されていくのであります。六十年後に再びここで集会を開くことがないよう、京都府政は部落解放同盟と力を合わせて、部落解放の道を進むことを静粛にお誓いします」という発言には素直に感動しました。並の政治家では言えない。
  • 一人の人間が生きるということの優れたドキュメントになっていると思います。読み応えのある力作でした。魚住昭「渡邊恒雄−メディアと権力」と共同通信社社会部「沈黙のファイル−『瀬島 龍三』とは何だったのか」も読んでみたい。