ランス・アームストロング 「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」

ただマイヨ・ジョーヌのためでなく (講談社文庫)

  • 「耐久レースで一流の選手になるには、誰もが感じる気おくれを飲み込み、不平を言わずに耐え忍ぶ能力が不可欠だ。要は、歯を食いしばって耐えればいいことで、はたからどう見えようが、最後まで残ればいいのである。そして僕はそういう競技であれば勝てるのがわかってきた。どんな競技だろうと問題ではない。ただ正攻法で戦う、長距離のレースであれば、僕は他を負かすことができた」というのは凄いです。宮仕えの極意としてサラリーマンが酔っぱらって語る内容に似ている気もしなくはないですが、「耐えることがすべてであるなら、僕にはその才能があった」とまで言い切れる人は何人もいないでしょう。
  • 「アルジェンティンは大口たたきのアメリカ人に負けるとは、信じられなかっただろう。そして彼は、僕が生涯忘れられないことをした。フィニッシュラインの五メートル前でブレーキをかけたのだ。故意に。彼は四位となり、メダルの圏外になった」、「表彰台に上がるのは三人で、アルジェンティンは僕の隣に立ちたくなかった。それはどのような説教や殴り合いよりも、僕に強烈な印象を与えた。彼の言わんとしたことはつまり、僕を尊敬しない、ということだった。それは軽蔑の優雅な形であり、効果的だった」というエピソードが実に印象的で、こういうのがもっと読みたかったのですが、別の作品に求めるべきなのでしょう。
  • ランス・アームストロングの体験や考えを共著者サリー・ジェンキンズが上手くまとめ上げており、全般的に平易でありつつも時にハッとするような文章が出てきます。例えば、「僕はツール・ド・フランスに出場するとはどういうことなのかを学んだ。ツールは単なる自転車競技なのではない。それは人生を象徴するものなのだ。単に世界でもっとも長いレースであるだけではない。それはすばらしい心の高揚、極度の苦痛、また潜在的に悲劇を秘めている。選手が考えられる限りの、そしてそれ以上のさまざまな事を、選手に味わわせてくれる。寒さ、暑さ、山岳、平野、轍の跡、パンク、強風、口にするのもいやなほどの不運、信じられないような美しさ、うんざりする無意味さ。そうしたことから本当の自分が見えてくる。人生の中でも、僕たちはいくつもの違った状況に直面する。時に後退を余儀なくされ、失敗と素手で格闘し、雨の中では頭を垂れる。それでも何とかして毅然と立ち、少しでも希望をもちたいと思っている。ツール・ド・フランスは単なる自転車レースではない。それは試練だ。ツールは僕の肉体を試し、精神を試し、そして道徳的にも僕という人間を試すのだ」、「ようやくわかった。近道はないのだ。精神と肉体と品性を確立するには、何年にもわたって自転車に乗り続けなければならない。何百という試合に出場し、何万キロも走ることが必要だ。脚に、肺に、頭に、心に、鉄のような強さを持つまでは、僕はツール・ド・フランスでは勝てないだろう。一人前の男にならない限りは」というのは非常に美しくかつ凄みのある一節。
  • それにしても「上り続けていく間に、僕には自分の人生全体が見えた。僕のこれまでの生きざまと僕に与えられている賜物、そしてその目的も。それは単純なことだった。『僕の人生は長くつらい上り坂を上るためにある』」とか、「辛苦を耐え忍び、ひたすら進み続ける意味を見いだすことができる者が勝つのだ。僕は個人的な試練を乗り越えた後、これこそ僕にもっともふさわしいレースだと感じていた」というのは凄いです。癌に罹患してもそこまで達観できる気がしません。
  • 睾丸癌の進行の速さには驚愕。発病のショックから立ち直る間もなく、あんなに次から次へと決断を迫られたら心が折れそうです。
  • 胸躍る第9章「ツール・ド・フランス」で感動しつつ読了。本書の執筆は1999年のツール・ド・フランス初優勝後、訳者後書きでも2連覇直後なので、その後の7連覇や離婚に至る軌跡には触れられていませんが、グイグイと読ませる中々面白い自伝でした。