古今亭志ん生 「五代目古今亭志ん生(4)」

五代目 古今亭志ん生(4)鈴振り(1)/王子の狐

  • このところ上方続きだったのでこの辺りで少し江戸に。変わったところで「鈴振り」が聞きたかったので本作をチョイスしてみました。
  • 同じビクターのシリーズでも「鈴振り」の音源は2種類あるようで悩みましたが、「化物娘」より「王子の狐」、という併録音源の比較で決めました。解説によりますと、「現存する三種類の『鈴振り』の中で、マクラの楽しさではこの録音が一番でしょう」とのことですので、悪い選択ではなさそう。
  • 「鈴振り(1964年1月31日。東宝演芸場)」は、おもむろに高座に上がってから噺に入るまでの有様を話し始め、なり立ての真打は後に誰もいないから慌てるという話で様子を伺いつつ、お馴染みの見せ物小屋の話(命の親、六尺の大イタチ)、二十四孝もどき(オタマジャクシ)、と特に脈絡もなく進んだ後、「今晩あたくしがやるのは『鈴振り』という噺で、これは艶笑落語であります。今夜は悔しいから、みんな普通のをやるから、私は艶笑落語。だから普段はあんまり聞けない落語でございますから、志ん生の野郎、あんなこと言いやがって生意気だ、歳もいかねぇくせに」と客を沸かせて「鈴振り」に。天衣無縫というか融通無碍というか。スポンテイニアス。
  • その後も、阿弥陀様とお釈迦様のダジャレ(「アミダ(涙)が出るぜ」「そうだろう、シャカ(逆)剃りだもの」)など、脈絡の無いままに突き進んでいきます。
  • 小野小町「さそう水あればいなむとぞ思う」←「わびぬれば身を浮く草の根を絶えてさそう水あればいなむとぞ思う」=根無し草のように、フワフワと目的もなく生き甲斐のない日々を過ごしておりますので、お誘い下さればともに行きたい心境です。
  • 「つまり・・・男の・・・つまり・・・」の絶妙な間、「左甚五郎と書いてある」というサゲの切れ味、「内緒ですよこれは、滅多にこんなことやんねぇんですから」というクスグリと、前半の「四つ目屋」から至芸が爆発。
  • 「日の本は岩戸神楽の始より女ならでは夜の明けぬ国」=天の岩戸の前でアメノウズメが踊ったという神話の昔から、日本は女性がいなければ夜が明けない(物事が始まらない)国であるという、詠み人知らずの狂歌。勉強の甲斐がありました。
  • 「外面如菩薩内心如夜叉」=容貌は菩薩のように優しく美しく見えるが、内心は夜叉のように邪悪で恐ろしいということ。
  • 幡随院(下谷)、勝願寺(鴻巣)、蓮馨寺(川越)、浄国寺(岩槻)、東漸寺(下総小金)、大厳寺(生実)、大善寺(滝山)、大念寺(常陸江戸崎)、善導寺(上州館林)、霊山寺(本所)、弘経寺(結城)、弘経寺(飯沼)、霊厳寺(深川)、大光院(新田)、常福寺(瓜連)、伝通院(小石川)、光明寺(鎌倉)、増上寺(芝)、という十八檀林の言い立てが入りますが、舞台は藤沢の易行寺なので実は無関係。
  • 「庭に水新し畳伊予簾、透綾縮みに色白のたぼ」=暑い最中における涼しげなものを詠んだ太田蜀山人狂歌
  • しょうもない下ネタなのに風雅な趣さえあって味わい深いですが、「チリーン!」と言う声だけで笑わせられるんだから強力です。
  • 「王子の狐(1965年1月31日。東宝演芸場)」は、得意ネタかどうか知りませんが、最後の高座では「二階ぞめき」が「王子の狐」になってしまったそうですから、愛着のある噺だったのでしょう。
  • ライナーによりますと、「噺の中に、扇屋という料理屋が出て来ますが、これは実在の店で、現在もあります」とのことですが、近年は料理屋ではなくて、玉子焼きの販売のみの営業のようです。
  • 口取り==口取り肴=饗膳で、吸い物とともに最初に出す酒肴、古くは、熨斗鮑(のしあわび)・昆布・勝栗など、後には、きんとん・かまぼこ・卵焼きなどを盛り合わせたもの。
  • 主人公の知り合いの清元の師匠に化けておきながら逆に騙されるという展開は考えてみればやや不自然で、柳家小さんのように、主人公の方から化けた狐に「お玉ちゃん」と声をかけて騙すパターンの方が自然な気がします。
  • 久しぶりに聞くと(当たり前ですが)江戸落語には江戸落語の楽しさがあって目一杯堪能しました。もう少し何か聞きたい。