林家正蔵 「八代目林家正蔵(1)」

八代目 林家正蔵(1)

  • 中村仲蔵(1965年3月31日。東宝演芸場)」は、「天保四(1784)年に仲蔵が行った定九郎演出の抜本的改革を噺にしたもので、いわばノンフィクション人情噺」で、「実話として演じる芸道苦心談だから、構成と運びに講釈めく要素もあって、かなり演者の地語りで進められる。『五段目』の段取りを説明すればするほどそうなるわけだが、蕎麦屋での浪人との束の間のやりとりや女房との惜別、そして師傳九郎とのやりとりなどはキメ細やかなきかせどころで、やはり本質的には講釈ではなく人情噺だと思う」とのことですが、人情噺的な演出は控え目で、むしろ講釈寄りの口演。
  • 何といっても古谷三敏「寄席芸人伝」の「ヘラヘラの万太郎」(「お前さんが、我が子を死なせたくなかったように・・・・・あたしも、人情噺の万太郎を死なせたくねえんだよ」)が印象深かったので、やや肩透かしをくった感もありますが、これはこれで得難い味わい。
  • 以下、分かった範囲でメモ。
    • 塩噌(えんそ)=日常の食物。塩酢。
    • 柳橋の妙見様=今の墨田区業平五丁目にある本性寺。妙見菩薩が本尊で、役者や芸者が多く参詣する。
    • 五枚草鞋=普通の草鞋を五枚重ねたほどの底の厚い草鞋。芝居用で、実生活には使われない。
    • 四斗樽=4斗入りの酒樽。現在では普通約3斗2升入り。
    • 渋蛇の目=渋とべんがらをまぜて中央と外周を塗り中間を残したもの。町人の男子用。黒蛇の目=天上部と外円周部が黒で、中間の白の部分の幅が狭い。外円周部の黒に白抜きの家紋を入れたりした。
    • 猿返り=歌舞伎で、立ち回りの型の一。あおむけになった姿勢から後方に宙返りして立つ。
    • 吉原被り=手ぬぐいを二つに折って頭にのせ、その両端を髷の後ろで結んだかぶり方。遊里での芸人や新内流しなどが用いた。
    • 総見=芝居・相撲などの興行を支援するために、団体などの全員が見物すること。
  • ライナーにも「このころは、まだ口調が晩年より早かったのが分かります」とあるとおり、古い録音だけあってまだまだキレのある口演。
  • 「火事息子(1964年3月31日。東宝演芸場)」は、「江戸人の情と理が、おもしろうて、やがてかなしく美しく描かれた名作」で、「穏やかながら人の心の深層に触れるサゲが付いてはいるが、これは一席もの人情噺の代表的名作」。
  • 「建前の強い江戸時代の社会と人生、しかし抑えきれない肉親と人間の情が描かれている」、「豊かな町家の蔭の悲劇が、火災の炎に彩られて、藤三郎の彫り物よりも鮮やかに江戸の夜空を染めるよう」な噺ではありますが、「八代目林家正蔵(彦六、1895〜1982)の口演にも定評があって、楷書の表現が話の古格に適ってはいたが、心理の繊細な近代的描写という点で圓生に一歩を譲ったと思う」とあるように、こちらも過剰な演出を排した渋い口演。
  • 以下、分かった範囲でメモ。
    • 町火消=町人が組織。常火消=幕府直轄で旗本が担当。大名火消=大名に課役として命じられた。
    • 臥煙=定火消で働く火消人足。町火消は刺子を着ているのに、こちらは褌ひとつで消火に当たった。彫物をして、平常は銭さしの押し売りやら、ゆすりたかりを働くので、嫌われ者だった。
  • 庇間(ひわあい。実際の発音は「しやわい」)=路地を挟んだ庇と庇の間。
  • 「一眼国(1975年9月11日。東宝演芸場)」には、「これからの時代の解釈にも耐えうる一種の寓話性があるよう」で、「その性格にいちばん適った演者は、あとにも先にも八代目林家正蔵(彦六、1895〜1982)だったと思う。この人ほど寓話が板に付く噺家は珍しい」とのこと。
  • 以下、分かった範囲でメモ。
    • 「先様はおかわり」=見世物小屋のぞきからくりなどでよく使われた言葉で、先に入ったお客様は、交代で出てほしいという意味。
    • 巡錫=僧侶が各地を巡行すること。錫杖を持っていたことに由来。
  • 声を出して笑えるという感じではありませんが、この口調で古色豊かな噺をされればそれだけで満足という感じ。繰り返し聴いても飛ばしたくなる部分が殆どないのは、やはり完成度の高さ故でしょうか。