若桑みどり 「クアトロ・ラガッツィ−天正少年使節と世界帝国(上)(下)」

クアトロ・ラガッツィ (上) 天正少年使節と世界帝国 (集英社文庫)   クアトロ・ラガッツィ 下 天正少年使節と世界帝国 2 (集英社文庫)

  • スペインのコリア・デル・リオのハポン姓の話を耳にして以来、慶長遣欧使節に関する書籍を読んでみたいと思っていたところ、勘違いをして天正少年使節の本を購入してしまいました。
  • 若桑みどりというと1988年の「レット・イット・ビー」しか読んでいないのですが、美術史学者にも関わらず、本当に精神的に辛いときは絵を見るよりも音楽を聴く、と書いていたのが強く記憶に残っています(逆に言うとそれぐらいしか記憶に残っていない)。
  • 自らの半生と天正少年使節を重ね合わせるプロローグはさすがに読ませます(「私はずいぶん旅をしてきた。でもこれでほんとうに私がやりたかったこと、知りたかったことが書けた。(中略)ローマの輝く空の下にいた四人の少年のことを書くことは、まるで私の人生を書くような思いであった」)が、本編に入った途端、学者らしいというか、メリハリの乏しい、頭に入ってこない文章が延々と続く感じで面食らいます。
  • 背骨となるような背景知識がない部分については、基本線が掴めないまま枝葉の情報量で溺れてしまう感じで、序盤で相当手こずりましたが、海外を舞台にした第4章「遥かに海を行く四人の少年」及び第5章「ローマの栄光」や「へうげもの」世界とも交差する第3章「信長と世界帝国」や第6章「運命の車輪」などに入るとそれなりに勢いをもって読めるようになりました。
  • 1549年(ザビエルの鹿児島上陸)から1633年(第一次鎖国令)という、明治以前に日本が最も国際化した80余年間を舞台に、点描で描いた文明の衝突、という感じですが、点描でしか描き得なかったのかどうかはよく分かりません。久々に大著を読み切ったという充実感はあります。
  • 「これらの少年たちは、みずから強い意志をもってそれぞれの人生をまっとうした。したがって彼らはその人生においてヒーローだ。そしてもし無名の無数の人びとがみなヒーローでなかったら、歴史をたどることになんの意味があるだろうか。なぜならわたしたちの多くはその無名のひとりなのだから」というエピローグの結びのメッセージも感動的ですが、直前に出てくる「しかし、四人の悲劇はすなわち日本人の悲劇であった。日本は世界に背を向けて国を閉鎖し、個人の尊厳と思想の自由、そして信条の自由を戦いとった西欧近代世界に致命的な遅れをとったからである、ジュリアンを閉じこめた死の穴は、信条の自由の棺であった」という一面的な物言いと相容れないように思います。
  • 「フェレイラは同じ1633年に穴吊りの拷問に耐えきれずに転び、キリシタン目明かしとして、キリシタンの摘発に力をつくした。彼は日本人の妻をめとり、沢野忠庵と名乗って『転び伴天連』の代表になった」というクリストファン・フェレイラに関する記述が衝撃的だったので調べてみたところ、遠藤周作「沈黙」のモデルであることが判明。教科書で一場面を読んだだけなので改めて読んでみたい。