Hergé 「The Adventures of Tintin: Collector's Gift Set」

  • ウィンザー・マッケイ「リトル・ニモ・イン・スランバーランド」に刺激されて1年前に購入したのはエルジェ「タンタンの冒険旅行」シリーズ。チャーミングなボックス・セットがあったので勉強もかねて英訳版にしてみました(オリジナルはフランス語)。
  • 米アマゾンのレビューは「サイズが小さい」のオンパレード。書店で福音館から出ているもの(29.6cm×22.4cm)を見てしまうと少し物足りなく感じるのは確かですが、いみじくもレビュアーの1人が述べているとおり、Mangaより少し大きいサイズは日本人向きという感じもします。
  • コレクターズ・ギフト・セットではあってもコンプリート・セットとは謳っておらず、ポリティカリー・インコレクトとされる第1作「タンタン・ソビエトヘ」と第2作「タンタンのコンゴ探検」、及び未完の最終第24作「タンタンとアルファアート」は未収録。
  • そのため、「タンタン・アメリカへ」では、タンタンがシカゴに乗り込む背景は説明されないままアル・カポネ(シリーズ中ほぼ唯一の実在の登場人物。しかも発表当時は存命)が「コンゴでダイヤモンドの密売を摘発されて・・・」と因縁を語りだし、やや唐突な感じを受けますが、その後は特段の違和感はなく、ネイティヴ・アメリカンの待遇や食肉加工工場の倫理的問題などを交えつつも、徹頭徹尾ハイスピードなチェイスが繰り広げられます。
  • 「ファラオの葉巻」では、双子の探偵トムソンとトンプソン(フランス語オリジナルではデュポンとデュポン)が初登場、最初からスプーナリズムが炸裂(トンプソン・ツインズというバンド名はこの2人のキャラクターに基づいているらしい)。ポートサイドに始まりインドまで、アヘン密輸をめぐる大冒険ですが完結はしておらず、次作「青い蓮」に繋がっていきます。中東パートの茶色基調とインド・パートの緑基調の対比も鮮やか。
  • 「青い蓮」ではインドから始まって上海へと移動。中国人の友人から情報を得ただけあって上海の光景などは大変魅力的なのですが、日本人秘密諜報員ミツヒラトの顔がえげつないことになっている上に、廬溝橋事件を思わせる列車爆破事件も描かれており、日本外交筋から抗議があったというのもむべなるかなという感じ。ソビエト編、コンゴ編はこれより酷いのでしょうか。
  • 「かけた耳」では、ブリュッセル民族学博物館から一転して舞台は南米、政情不安定な架空のバナナ・リパブリック、サン・テオドロス。吹き荒れる革命の嵐や渦巻く石油資本の陰謀が、リアルというかガブリエル・ガルシア=マルケス的というか。パブロの恩返しの経緯を一瞬見失いましたが、放免された恩に報いた石油会社が雇った殺し屋でした。タンタンが酔っぱらう珍しいシーンも楽しい。
  • 「黒い島のひみつ」はタンタンがいつにも増してお洒落。これまでのトレンチコートに代わってステンカラーコート、ブルーのセーター、最後はキルトにスポーランまで。パブの主人や漁師が話すスコットランド訛り(「A'body can see you're no frae these parts, laddie, else ye'd ken for why they'll no be seen agen」)がつらかった。突然ゴリラが出てくるのは、ネッシー(所謂「外科医の写真」が1934年)と映画「キングコング」(1933年)の影響らしい。
  • 「オトカル王の杖」は架空の国シルダビアが舞台。杖を盗み出す手口の謎解きや隣国の巨大な陰謀が暴かれるプロットは高い完成度(アレンビック教授の双子の兄弟が協力した理由は不明ですが)ですが、タンタンの現地衣装姿がないのはヴィジュアル面で若干マイナス。首謀者ミュスラーはムッソリーニヒトラーの組合せ、シルダビア国王ムスカル12世のモデルとなったのは、ボヘミア国王プジェミスル・オタカル2世やルーマニア国王カルロ2世とのこと。
  • 「金のはさみのカニ」は、当時連載中だった「燃える水の国」の掲載誌がナチス・ドイツに廃刊されたため、別の媒体で新たに連載したもの。モロッコが主な舞台で、「ファラオの葉巻」、「青い蓮」と続く麻薬密輸団三部作のようで、話自体は新味はないものの、ハドック船長が初登場。酷いアル中っぷりに吃驚しますが、「エクトプラズム(Ectoplasms)!」、「破格構文(Anacoluthon)!」といった訳の分からない悪態の連発が可笑しい(桜玉吉の源流と言えましょうか)。
  • 「ふしぎな流れ星」は一転して北極海へ隕石探し。予言者になった元同僚の存在は当時の反ユダヤ主義的世相が露出しているキャラクター(元々はピアリー号の出資者もアメリカのユダヤ人資本家ブルーメンスタインだったそう)ということで、爆発するキノコやリンゴの木の急成長等は新種の金属フォストライトの性質ということで理解が可能ですが、調査隊の他のメンバーが何をしていたかは謎のままです。トムソンとトンプソンは本巻ではほとんど出番なし。
  • 「なぞのユニコーン号」は次巻「レッド・ラッカムの宝」へとつながる宝探しの前半部分。作者本人のお気に入りだけあって、スリ、船の模型、ハドック船長の祖先の日記、となかなか入り組んだ筋立てに加えて、ハドック船長の祖先・フランシス・ハドック卿と海賊レッド・ラッカムとの戦いが見所でしょうか。「上手回し(tacking)」と「下手回し(wearing)」、「右舷開き(starboard tack)」と「左舷開き(port tack)」等の帆船の専門用語には骨が折れました(日本語でもよく分からない)。
  • 「レッド・ラッカムの宝」は前巻から引き続いて宝探し。耳の遠いカルキュラス教授とハドック船長のやりとりの可笑しさ(「Tell me captain, was that a fish jumping out of the water just now?」「No, it was a grand piano!」)、1人乗りサメ型潜水艇というガジェットの楽しさ、エンディングに向けた意外な展開など、シリーズ中最も売れているだけのことはあります(映画化されるのもこの2作が中心のはず)。映画「クレイマー、クレイマー」の中でダスティン・ホフマンが息子に読み聞かせていたのも本書だそうです。
  • 「ななつの水晶球」は次巻「太陽の神殿」へとつながるインカの呪いの謎解きの前半部分。アンデス調査隊の奇病、カルキュラス教授の誘拐といったいつものミステリー的な展開に加えて、3人で同じ夢を見たり、火の玉が飛んだりというオカルト的な要素もあって、次巻でちゃんと収束するのか不安になるほど話が広がります。前半ではハドック船長がマーリンスパイク・ホールで富豪然(モノクル着用)としていて寂しくなりますが、後半でやにわに船長ルックに戻ります。
  • 「燃える水の国」の舞台は架空の中東の国ケメドですが、連載当初(第二次世界大戦で中断する以前及び再開後)の舞台はイギリス委任統治パレスチナユダヤとアラブと英国の3勢力が入り乱れる話だったそうで、現在の形になったのは1972年とのこと。連載時の情勢及びリライトのせいか、まとまりが悪い感じですが、アブダラー王子の度を超した悪童ぶりにストーリー全体が救われている印象。ハドック船長とタンタンのニッカボッカ(正確にはプラス・フォー?)姿のシーンが少ないのも奇妙な印象。
  • 「めざすは月」は月探検旅行の前半部分。スパイ対策が所々で挟み込まれるものの、舞台の殆どはシルダビアの原子力研究センター内で展開される起伏に乏しい巻。そんな中で、月旅行に備えて補聴器(しかも2種類)を利用したり、バカ呼ばわり(「acting the goat」)に我を忘れて激高したかと思えば落下事故で記憶を喪失したり、カルキュラス教授がストーリーを牽引。エルジェのアドヴァイザーを務めたベルナール・ユーベルマンスは航空宇宙工学よりも「未確認動物学の父」として有名な人のようです。
  • 「月世界探検」は月探検旅行の後半部分、いよいよ宇宙空間へ。宇宙空間の広大さを表現するためか、珍しく大ゴマを使ったりと、ヴィジュアル面が充実している上、終盤、地球への帰還のドラマと内通者が判明するラインが絡み合って中々盛り上がります。月から見る星々は瞬いていないという予測は、後年、事実だと確認されるそうです。久々に酷い呑んだくれっぷりを発揮したハドック船長がその衛星になりかけたアドニスは1936年に発見された実在の小惑星だそうです。
  • 「ビーカー教授事件」は、その名の通りカルキュラス教授(邦訳ではビーカー教授)が主人公。超音波装置を発明したカルキュラス教授を奪い合うボルドリアとシルダビアの両国のスパイを、タンタンとハドック船長が追いかける比較的単線的でスピーディーな展開。厚かましい保険外交員ジョリオン・ワッグ(フランス語オリジナルではセラファン・ランピョン)は、エルジェ宅を訪問した実在の保険外交員がモデルらしい。宿泊したことのあるホテル・コルナヴァンが出て来て何となく嬉しい。
  • 「紅海のサメ」は、奴隷貿易をめぐる話でサメは何ら重要な役割は果たしません(原題を直訳すると「コークス在庫有り」)。アルカサル将軍やポルトガル商人オリベイラ等々、これまでの登場人物が大挙登場していて人物連関が複雑な上に、「実験漂流記」を著したフランス人医師アラン・ボンバールやジェリコーの絵画「メデューズ号の筏」、アダム・リンゼイ・ゴードンの詩(「The Romance of Britomarte」)等ハイブロウな引用も。仮装舞踏会におけるラスタポプロスの衣装がP−Funkみたいで可笑しい。
  • 「タンタンチベットをゆく」は、離婚の危機に瀕しつつ描いたパーソナルな作品という作者自身のフェイヴァリット(悪夢に悩まされたエルジェはカール・ユングの教え子の精神分析を受けて、内なる「純潔の白い悪魔」を退治するよう言われたらしい)。悪役が登場しない(イエティさえも実は心優しい)という点でこれまでと全く様相が異なる特殊な回。夢のお告げやチベット仏教が登場してちょっとニューエイジ系なのも当時の恋人の影響のよう。2006年にはダライ・ラマ14世から「真実の光」賞を受賞。
  • 「カスタフィオーレ夫人の宝石」は、事件らしい事件が起こらないままで読者の関心を持続させるという物語上の練習と考えられているとのことで、カスタフィオーレ夫人のエメラルドをマクガフィンとして物語は進行しますが、オペラ歌手なだけに盗んだのは「泥棒かささぎ」でしたというパンチラインは洒落ています。カスタフィオーレ夫人がカルキュラス教授に話しかけている中で突然気球に言及される箇所がありますが、これはカルキュラス教授のモデルであるオーギュスト・ピカールの業績とのこと。
  • シドニー行き714便」はインドネシアが舞台。ラスタポプロスの野望で、悪徳実業家ラズロ・カレイダスともどもとある火山島に拉致されるという壮大な展開ですが、テレパシーで誘導されて潜り込んだ寺院から地下道を経由して噴火口から脱出、宇宙人により記憶を消された後ボートに放置という終盤の展開はやや壮大すぎる気も。宇宙人の手先ミク・カンロキトフはかなり唐突な登場ですが、いかにもといった魔太郎のような容貌(アンテナ付き)には和まされます。
  • 最終巻「タンタンとピカロたち」で舞台は再び南米サン・テオドロスへ。「ビーカー教授事件」のスポンツ大佐や「かけた耳」のリッジウェルなどが再登場しますが、タンタンがプラス・フォーを着用していない、ハドック船長が酒を飲めない身体にされてしまった、などいささか寂しい変更も。ジョリー・フォリーズの仮装をした革命家は「Vフォー・ヴェンデッタ」におけるガイ・フォークスの紛争を想起させます。パレードの場面にはミッキー・マウスが登場していますが、これにはディズニーも文句は付けられないでしょう。
  • 最終巻は解説。斜め読みしかしていませんが、ポール・レミ(タンタンのモデル)、オーギュスト・ピカールカルキュラスのモデル)、チャン・チョン・チェン(チャンのモデル)、ファイサル2世(アブダラー王子のモデル)の写真などを見ることが出来て楽しいです。ロイ・リキテンスタインやアンディー・ウォーホルに影響を与えていたとか、エルジェはバルザック「人間喜劇」の影響を受けていたとか、目から鱗が落ちるような視点も序文で紹介されています。
  • 未収録の「タンタン・ソビエトヘ」と「タンタンのコンゴ探検」が心残りではありますが、何はともあれこのシリーズは読了。スティーヴン・スピルバーグによる映画化作品が公開された暁には、諸々の魅力的な商品がラインナップされるかもしれません。要注目。