Various Artists「Feeling Feelin'」

フィーリンを感じて

  • レコード・コレクターズ」のレヴューを読んでいて、新作コンピレーションにも関わらず、これ欲しかったんだよなと思ってしまったのですが、その原因は、ルイ・カストロボサノヴァの歴史」の巻末で紹介されていた「ボサノヴァ・ブリーズ」との混同でした(6枚組というヴォリュームと通信販売のみという入手困難性で諦めた)。
  • それは別にしてもなかなか魅惑的なレビュー内容で、曰く「フィーリンはストライク・ゾーンの広い音楽で、しかも投げ込まれるのは変化球が多く、ラテン的にマッチョな豪速球はほとんどない。北米のジャズの要素…洒落たコード進行、トーチ・ソング的切なさ、ジャイヴ的な粋さ、楽器で言うとヴィブラフォン、ギター、オルガンへの興味…などなどをちりばめつつ、独自のバラード(ボレーロ)を作り出して行ったと言えるかもしれない。(中略)ストリングスが割と大胆だったりと実験的な危うさ、儚さ過激さも時おり感じさせる。そうしたフィーリンの魅力が十分に楽しめる内容」。
  • 竹村淳ラテン音楽名曲名演ベスト111」のフィーリンの解説を拾ってみると、「1940年代末のキューバで興った音楽ムーブメント。 filin/feelin'/el feelinなどと綴られるが、もとは英語のfeeling(感性/感覚)。スペイン語ならsensación(センサシオーン:感覚/気持)だろうが、 それは使わずに英語のフィーリングをキューバ風に表記したり、スペイン語の定冠詞elと英語のfeelinをドッキングしたりするところがミソ」で、「米国のジャズなどの要素をとり入れて、キューバのトローバを再興させよう、また煮詰まりつつあったボレーロの活路を探ろうとする動きだったようだ。ちなみにトローバはトロバドール(吟遊詩人)の作品をさす。すぐれたトロバドールを輩出した19世紀後半から20世紀初めはその全盛期で、その頃から脈々と継承してきた歌の伝統を刷新しようというわけだ。第二次世界大戦が終わり、新しいなにかを模索する気運が高まったことや、戦後に米国から怒濤の勢いで流入してくる音楽から母国の音楽を守り、音楽的な植民地化を阻止するという側面も背景にあったと考えられ」、「50年代以降のキューバとメキシコの歌世界に大きな影響を及ぼしたムーブメントである。メキシコではモダンなボレーロと分類することが多いが、あくまで一つのジャンルとするのがキューバ流」だそうです。
  • フィーリンのムーヴメントをリードしたホセ・アントニオ・メンデスについては、「フィーリンの誕生」、「フィーリンの真実」といったCDが先行して発売されているためか、本盤には含まれていませんが、コンピレーションの本旨としてはいささか不完全ではないかと思います。
  • その一方で、厳密なフィーリンだけではなく、ナット・キング・コール「うらぎり」など、フィーリン的な曲も収録しており、コンパイルの方針としてはあまり好ましく思いませんが、「うらぎり(パーフィディア)」は大好きな楽曲なので単純に嬉しい。
  • 原田尊志のライナーによると、「この時代は、まさしくブラジルでボサ・ノーヴァが生まれ流行した時期とリンクしている。背景もある程度まで同じだろう。それは、圧し寄せる米国ポピュラー・ミュージックの様々な音楽的要素の中から、自前の音楽フォーマットの中に取り込めるものを巧みに消化し、米国音楽に負けないポピュラリティーを生み出そうという試みであった」とのことで、ごくごく乱暴に言えばキューバのノサ・ノヴァ。ただし、ボサ・ノヴァほどの形式上の個性はないので、門外漢からするとクルーナー的な曲をスペイン語で延々と聴いている趣で、やや退屈するのは否定できません。
  • 個人的な好みとして、繰り返し聴きたいという気持ちにはあまりなりませんが、強いて1曲気に入ったものを挙げるとするなら、ビセンティコ・バルデース「最後のコーヒー」。歌い口はややいなたいですが、とても雰囲気のあるバッキング。