- 今夏、唐木元の1996年からの全日記を読了(ROOTSY!)。国立の大学生がフリー編集者になったりサーフィンにはまったりしつつ、ナタリーの取締役として一定の成功を収め、両親の介護で苦労しながらも突如バークリーに入学するという、うねりまくる流れに感情が揉みほぐされてホロホロに。これぐらいコンテンツ力の高い日記もそうないのでは。
- 本人の退職ステートメントによると、ユーチューブを検索しながら柳樂光隆「Jazz The New Chapter~ロバート・グラスパーから広がる現代ジャズの地平」を読んだところ、「『R&B~ネオソウルをジャズミュージシャンが演奏する』っていう、言葉にすると何てこたないコンセプトなんだけどさ、最高だな、としかいいようがなかった。ネオソウルやヒップホップに感じていた和声的な食い足りなさがたっぷり解消されていて、それ以上のものになっていたというか」で「ガツンとやられた」とのこと。そして「粋な夜電波」の「今ジャズ特集」~NY旅行~日本人ベースプレイヤー遭遇~バークリー入試~退職~渡米と。痺れる。40代になってバークリーで音楽に打ち込む留学記も感涙の瑞々しさで、本にするという話があったようですが、実現するならば是非読みたい。
- その2010年代になって盛り上がったジャズシーンのビッグバンはやはり本作「ブラック・レディオ」(2012年)というのは衆目の一致するところのようなので、どんなもんかいのと購入。柳樂光隆曰く「ヒップホップを使ってジャズを拡張した」「歴史的な作品」。菊地成孔によれば、「グラスパーが出てくるまでっつーのは、ウィントンとかがどんなに頑張ってても、NYに行ってジャズ漬けになろう!っていう気に、あんまりさせない街だった」ところが、「グラスパーの『ブラック・レディオ』が11年?あの辺りからまたなんか70年代に戻ったっていうか、あるいはヒップホップにとっての80年代に戻ったっていうか…『NYに行けばとにかくジャズ漬けになれるので、それでジャズ勉強しよう!』っていうモチベーションが成立する街にまた戻りました」「ジャズ的にはもう死にかけてたっていうぐらいだったんですけど、なんか急に蘇生した」とシーンを塗り替えた一撃。
- 菊池成孔曰く、ムーヴメントの中核はとにかくリズムで、「20世紀は、和声とメロディと音色とか、そういうの全部やっちゃった(中略)かのように今見えてる」中、「リズムっていう子だけの成長期がちょうど今来てる」とのこと。一例としてはJ・ディラ的なヨレたサンプリング・ビートの人力再現。「最初は病理的に聞こえる、訛りだとか、なんかちょっと不自然に聞こえるものが、だんだんマヒして、今度は魅力に変わって行くっていう」「昔だったらギクシャクして『なんかこれ・・・グルーヴ悪いよ』って言われたものが、今もう『最高にいいよね、これ』っていう」ヨレたビートを、「テクノロジーと人間の身体性ってのは、とにかくバックの取り合い」で「その追い掛け合いのゲームが今白熱してるのが『今ジャズ』の世界」。
- ディアンジェロ「ヴードゥー」(2000年)におけるクエストラヴのドラミング(「He wanted me to play as drunk and as slow and as dusted as I've ever played in my life」)もヨレたビートの一つの源流として有名ですが、そのディアンジェロが2014年の「ブラック・メサイア」において、「ヨレた感じのドラムを、つまり『機械がヨレさせたものを人間の手で再現できる、これはクールだよ!』というここ5〜6年のトレンドをかなぐり捨てて、思いっきりロックバンドみたいにバッカンバッカンに演奏して(中略)ある意味パンク的な感じっていうかね。ニューヨークの70年代末から80年代の頭にかけて起こった、ニューウェーブ、パンク、ノーウェーブって言われる、楽器が演奏出来ない人達が演奏してきた音楽ってのもあるんですけど。無教養主義の極点ですけど、すごい上手くてカッコいい連中が、ちょっとそれっぽさを入れて、トレンドを変えるのか否か、非常に興味があります」(「粋な夜電波」2015年11月14日放送分)とも言われており、現在のトレンドはどうなっているんだろうか。なお、「グラスパー自身が『ブラック・レディオ1&2』の後、何をやってるのかわかんなくなっている状況」(菊地成孔)らしく往事の神通力は低迷している模様。
- 「誰もが打ち込みだと思ったけど実は生ドラムだった」ということに大道芸以上の意味があるのかないのかよく分かりませんが、「楽器のできない人間が作った音楽を、楽器の弾ける人間が真似して、演奏に新鮮味を吹き込む」「最初こそ器楽の代用品であったものの、そこには楽器の修練を経た人間には出しえないサウンドが芽吹いて、特有な魅力を獲得していったわけです。それをこんどは楽器のできる側が取り入れて、その相互作用のなかで2010年代にジャズシーンで新しい音像がエクスプロージョンした」(唐木元)ということのよう。あるいは、「人生がメチャメチャだった人の泣ける演奏を聞いて感動するのもそれでジャズの大きな魅力ではある一方で、最先端・・・ラボで研究してって、どんどん新しいリズム、新しい人たちってのが、周辺の音楽を吸収して発達してくってのもジャズの醍醐味」ということ(菊地成孔)。言っていることは理解できるけれども、聴いて響かないものはいかんともしがたい。
- ディスク1枚ではなくシーンの変遷として大きく捉えないと面白さが分からないのかもしれない。2010年代前半は仕事と子育てのことしか覚えていないのもあるけど、それ以前に90年代~00年代のシーンを全く追っていない(デ・ラ・ソウル止まり)ので、本盤を楽しむための基本的な素養が足りていない感じも強くある。
- なお、当時、菊地成孔/原雅明/村井康司「ロバート・グラスパーをきっかけに考える、“今ジャズ”の構造分析と批評(への批評)とディスクガイド(仮 あるいはモダン・ポリリズム論序説)」なる書籍が発売予定だったという情報が散見されるのですが、発売中止になったのだろうか。「Jazz The New Chapter」にはあまり食指が動きませんが、これは読んでみたい。
Chris Dave and The Drumhedz (Mixtape Coming Soon)