カール・マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」

ルイ・ボナパルトのブリュメール18日[初版] (平凡社ライブラリー649)

  • 柄谷行人「インタヴューズ1977−2001」に収録された「不可知の"階級"と『ブリュメール十八日』」を読んで刺激を受けて本書を購入したのが2015年2月(「もし若い人にマルクスで何を読めばいいのかと聞かれたら、僕は文句なく『ブリュメール十八日』を進めます」)。
  • ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な歴史的事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている、彼はこう付け加えるのを忘れた。一度は偉大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として、と」という冒頭の一文が有名な作品。
  • 手強くて中々読み進められない中、今こそ読むべきだと気合を入れ直したのが2016年アメリカ大統領選挙ドナルド・トランプの当選)。難儀している間にトランプ政権も4年1期で終了し、バイデン政権の1年もはや終わろうとしている。
  • 「いまではもう理解できない」ディテイルが山盛りで、しかも嘲笑的に饒舌な文体でレトリカルに展開されるので(「これら『くず、ごみ』的存在へのスカトロジカルな愛好を表出している」「ファルスを描いた第一級の文学的テキスト」)、訳注/年表/人名解説がいかに充実していようとも(というか充実しているほどますます)頭の中が混迷を極めていきます。ある程度基礎知識が叩き込まれていないと難しい。
  • 訳者(植村邦彦)のまとめを引用すれば、「男子普通選挙権を実現した共和制の下でルイ・ボナパルトのクーデタが可能となり、しかもこの独裁権力が国民投票で圧倒的な支持を獲得できたのはなぜなのか」「マルクスは、ルイ・ボナパルトの権力の階級的基盤が、ブルジョアジーなのか、分割地農民なのか、ルンペンプロレタリアートなのかというクイズを出している」という作品。
  • 人生の時間は有限なので、諦めて柄谷行人のあとがき「表象と反復」だけマーカーを引きつつしっかり読んで終わりにすることに決定。以下メモ。
  • 「社会的階級が『階級』としてあらわれるのは言説(代表するもの)によってのみだということ、そしてその場合、つねに代表するものと代表されるものの関係に恣意性あるいは浮動性がつきまとう」ため、「『代表するもの』と『代表されるもの』の関係が、本来的に恣意的であるがゆえに、産業ブルジョアジーもその他の階級ももともとの『代表するもの』を見すてて、ボナパルトを選ぶということがありえた」という議会制(代表制)の問題。
  • 「1789年の革命、つまり王を殺して実現された共和制のなかから皇帝ナポレオンが出てきたことが、ある意味で、シーザーの『反復』にほかならない」という反復の問題。
  • 「あらゆる者を代表しなければならない。しかし、それは現実的には不可能である」中で「危機の想像的解決を唱える“ボナパルティズム”の出現」は反復されるということ。
  • それでもしつこく鹿島茂「怪帝ナポレオン三世 第二帝政全史」など購入してみたり。積み本が減るわけがない。