マイケル・オンダーチェ 「映画もまた編集である-ウォルター・マーチとの対話」

映画もまた編集である――ウォルター・マーチとの対話

  • 村上春樹が読者交流サイト(おそらく「村上さんのところ」)でおすすめしていたもの。2017年に転居で東京に戻る時にホテルで読み始めて、これはとても面白いから落ち着いてからちゃんと読もうと思ってはや6年超。
  • 編集技術や音響デザインの細部は、ここまで神経を使うのかと蒙を啓かれるものがあり、さすがに読ませる。更に面白いのはコッポラ組でなくては語り得ない解説。例えば以下。
  • 「これら70年代の名作はすべて《ゴッドファーザー》がヒットしたお蔭で作ることができたものだよ。皮肉なことに、《ゴッドファーザー》はフランシスが目指していた作品とは質が違う。当初は典型的な大予算ハリウッド映画の企画だったし、本来そういうものから遠ざかることが彼の目標だったからね」
  • (「地獄の黙示録」について)「間違いなく断片的だった。それがあの怪物的な作品の資質なんだ。その釣り合いをとるために河がある。つまり、断片的なエピソードの連続でも、河を上流にたどることで、物語を先へ進めることができた」
  • 「いまから振り返れば奇妙に聞こえるかもしれないけど、ヒット間違いなしのスターを起用した大々的な紋切り型アクション映画として、フランシスは《地獄の黙示録》に魅力を感じていたんだ。そのアプローチで一ヶ月ほど《地獄の黙示録》の制作が激流のような勢いで進行してから、フランシスは『私には距離を置いた紋切り型のフィルムメイキングはできない。もっと私的に密接にかかわらなければ映画は作れない』と気づいた」
  • 「セリフだけ録音し直したよ。だから役者の口は『リーレイ大佐』と動いているけれど、観客には『カーツ大佐』と聞こえる。とても慎重に処理したけれど、このシーンをよくよく見てみると・・・」
  • 「そこでジョージ(ルーカス)は改めて考えた。《地獄の黙示録》を作りたいと思った理由はなんだろうか?この作品のメッセージを煮詰めれば、小さなグループでも自分たちの力を信じさえすれば強大なパワーを打ち倒すことができるというものだ。よし、いいだろう。現実を舞台にするのが政治的に難しいのなら、舞台を宇宙に移して、『遠い昔、遙か銀河の彼方』でこのエッセンスを描こうじゃないか。そう考えた。ベトコンが反乱軍に、アメリカが帝国軍に置きかえられたわけだね。自分たちの力、つまり『フォース』さえあれば、小さな集まりでも強大で圧倒的なパワーを打ち倒すことができることを描いた。《スター・ウォーズ》は《地獄の黙示録》をジョージが再解釈した作品だったんだね」
  • (マイケル・コルレオーネがソロッツォとマクラスキー警部を殺害するイタリア料店のシーンについて)「このシーンにはもうひとつ、イタリア語のセリフにあえて字幕を入れないというフランシスの演出が効いているね」
  • 「私たちが使っていたゲオルグショルティ指揮による『ワルキューレの騎行』のレコードの使用許可が下りなかったんだ」「テンポは問題ない、それどころかショルティのそれとほぼ同じだった。問題なのは、ラインスドルフが選んだ音色だったんだ。私たちがちょうど映画に使いたい箇所をラインスドルフは弦楽器を強調して演奏させていた。一方のショルティ金管楽器を強調していたんだ。このシーンは、飛ぶヘリコプターから兵士越しに眼下のフィリピンの海を見下ろす場面で、この海の青さには奇妙にしてすばらしい酸味があり、それがショルティ版の金管音と交わることで絶妙な相乗効果をみせる。ところがラインスドルフ版では、金管のもたらす金属的な音がなりをひそめ、しなやかでソフトな演奏になっているので、この青がすっかり生気のない青に見える」
  • 「フランシスの最初の意向では、ロバート・デュバル演じるコルレオーネ兄弟の四男トム・ヘイゲンの死を軸にストーリーを展開させるつもりだった(中略)フランシスの目指していた、一本目でソニー、二本目でフレド、三本目でトムと、コルレオーネ兄弟の死を軸にこのシリーズを描くという、おとぎ話のように美しい対称性とバランスのとれた全体構成は実現できなくなってしまった」
  • 「《ゴッドファーザーPARTⅢ》の脚本どおりの出だしは、一作目の《ゴッドファーザー》の模倣品みたいに感じられたんだ」「例の冒頭シーンには《ゴッドファーザーPARTⅡ》が終わった時点のマイケルの状況が一切反映されていないということだ(中略)あのままでは、『彼にいったい何があったのだろうか』、『どうやってあそこまで空虚だった彼が、こんなに満タンになったのだろうか』という疑問が続出するのは目に見えている」「そんな理由で、あの映画の冒頭シーンは、教会、パーティ、バチカンでの取引という順番に変更したんだ」
  • 「愛にステージラインは無用」という解説も面白かった。「ゴースト/ニューヨークの幻」を例に、「冷静に視覚的な側面だけを見れば、このシーンはリズムや感覚こそ重視して構成されているものの、『ちょっと待てよ!本当なら彼女が左側で彼は右側にいなければおかしいはずだぞ。これでは位置が逆じゃないか!』と感じるはずなんだ。でも、むしろそれが、人を情熱的に愛したときの、方向感覚を喪失した気分をうまく表現している」
  • ルネサンス的教養人」だけあって見識に深みがある。例えば以下。
  • 「三人の映画の父は、エジソンベートーヴェンフローベールだよ!」「ベートーヴェンからほぼ百年が経過した十九世紀終盤には、こういった転換のダイナミズムだけでなく、もっと近い年代に発したフローベールの徹底した観察に基づくリアリズムも存在していた。映画の発展は、長年の試行錯誤を経たというよりは、むしろ急激なものだったけれど、やすやすと現在のような形式に昇華できた最大の理由は、おそらくリアリズムとダイナミズムというふたつのムーブメントが結合して溶解するちょうといいタイミングに偶然出くわしたからではないかと思うんだ」
  • 「時代が追いついていない、もしくはその文化に適応しないという理由で、多くの発明が『将来のない』ものとなっていることは事実だよ。アステカ族は車輪を発明しているが、子ども用の玩具以外の使用法を思いついていない、道路まで作っていたのに、物品を引きずって運んでいた(中略)古代ギリシャも蒸気エンジンで同じことをやっている」
  • ザ・ローリング・ストーンズの映画「ギミー・シェルター」(1970年)もウォルター・マーチの編集だったのか。巻末資料を見て驚いた。
  • 大満足。「カンバセーション…盗聴…」の例も頻出するので観ていればなお楽しめたかもしれない。