Various Artists 「The Best of Dixieland Jazz(Disc 1)」

  • Johnny De Droit and His New Orleans Orchestra「The Swing」(1924)
    • 1920年代初期にニューオリンズのファッショナブルなホテルやレストランで自作曲を演奏したバンド・リーダー。
    • 当時のニューオリンズにはレコード製作会社はなかったため(シカゴやニューヨークからの出張録音)、実は少ないニューオリンズ録音の中でも最古の録音らしいです。
  • King Oliver's Creole Jazz Band 「Sobbin' Blues」(1923)
    • 録音曲数が110を超える文字通りの「王様」だったが、1927年、コットン・クラブからハウスバンドの誘いがかかるがギャラで折り合わなかった(結局エリントン楽団がハウスバンドになった)のを境に、歯ぐきの病気で吹けなくなるわ(最終的に全ての歯を失った)、大恐慌で財産を預けていたシカゴ銀行は倒産するわ、凄い勢いで凋落。最後は(賭けの)玉突場の掃除夫として貧困の内に死亡。
    • これは1923年だから初録音の「むせび泣くブルース」。
  • Clarence Williams' Blue Five「Wild Cat Blues」(1923)
    • クラレンス・ウィリアムズは1898年ニューオリンズ郊外の生まれ。父親はホテルのオーナーで生計を立てるベース奏者。ウィリアムズは幼少よりこのホテルで演奏したり路上で歌うことで音楽を学んだ。
    • 12歳で有名なビリー・カーサンドのミンストレル・ショーにシンガーとしてくっついて家を離れ、程なくして一座のMCに。ニューオリンズに戻るとミュージシャン相手のクリーニング業を開業。自らもストーリーヴィルでピアノ演奏を開始。「プリティ・ベイビー」を書いたラグ・ピアニスト、トニー・ジャクソンの影響を受ける。
    • 1915年頃、アーマンド・パイロンとともにニューオリンズに本拠を置く出版社を設立し、数年間活動。 1917年、2人はヴォードヴィル・ショーを編成、パイロンがヴァイオリン、ウィリアムズがピアノとヴォーカルを務め、そこそこの成功を収める。ツアーの間にW.C.ハンディの知己を得る。
    • 1917年のストーリーヴィル閉鎖を受け、1920年にウィリアムズはシカゴに移る。音楽会社を設立したところ非常に儲かったので3社まで拡大。1920年にマミー・スミスの初録音が好評を博すと、ウィリアムズは黒人女性ブルース・シンガーのレコードの製作、販売に着目。1921年にはブルース・シンガーのエヴァ・テイラーと結婚。
    • 1923年にはシカゴの所有会社を処分して拠点をニューヨークに移動。その年の2月にはコロンビアでベッシー・スミスの初録音を行う。ベッシー・スミスの多くの曲で作曲者にクレジットされているが、出版しただけで殆ど関わっていないものもあると考えられている(当時の慣習として一般的)。また、彼は当初スミスの録音ギャラの半分をくすねていた。
    • 1943年に5万ドルでデッカに膨大な曲のバック・カタログを売却して引退、商売を始めて成功、1956年に交通事故で視力は失うものの、1965年まで生きた。とにかく機を見るに敏なビジネスマン。
    • この曲はシドニー・ベシェの(リリースされたものとしては)生涯初録音(とは言え既にビッグネームだった)にして名演奏、なんだそうです。
    • 典型的なABACDCパターンで、B♭で演奏されるABAの部分からE♭のCへの展開及びブレークが入るDの部分はこの時代の曲に特徴的、なんだそうです。
  • George McClennon's Jazz Devils「New Orleans Wiggle」(1924)
    • ホンク、グロール、スクイークなど、様々な動物の鳴き声等を表現する「ガス・パイプ」と呼ばれるクラリネット奏法の非常に良いサンプルであり、ユーモラスな演奏をしながらのコミカルなダンスで人気を博した。
    • 1937年、シカゴで結核により死去。著名なコメディアンであるバート・ウィリアムズの養子であり、養父のように顔を黒塗りして演奏した。
    • 初期のレコードはハーレム・トリオ名義で1923年、1924年にリリースされた。
  • Bennie Moten's Kansas City Orchestra「Kater St. Rag」(1925)
    • 幼少時に母親からピアノを習い、12歳からはバリトン・ホーンを習う。
    • 1929年、新興勢力ウォルター・ペイジのブルー・デヴィルズから主要メンバーカウント・ベイシー、ジミー・ラッシング等)を引き抜き、1931年には失意のペイジ本人もモーテン楽団に加入。
    • 1935年に扁桃腺手術の失敗によりモーテンが死去すると、ベイシーが後を継ぐという仁義なきカンザスシティの歴史。
  • Edna Winston「Pail in My Hand」(1926)
    • 無名のヴォードヴィル・ブルース・シンガー。トーマス・モリス楽団との録音。
  • Thomas Morris and His Seven Hot Babies「The Mess」(1926)
    • 1920年代、初期ニューヨーク・ジャズ・シーンで活動。
    • ファッツ・ウォーラーシドニー・ベシェ、チャーリー・ジョンソン、クラレンス・ウィリアムズとの録音や、マーガレット・ジョンソン、サラ・マーティン、エバ・テイラー。マミー・スミス等のブルース・シンガーの伴奏など、150もの録音を残している。
    • 1929年のベッシー・スミスの映画「セントルイス・ブルース」に少しだけ映っている。
    • 1930年代初期には音楽ビジネスを離れ、グランド・セントラル駅で赤帽とした働いた後、当時流行していたアフロ・アメリカンのキリスト根本主義者のカルト「Father Divine's Universal Peace Mission Movement(ディヴァイン神父の宇宙平和の使徒運動?)」のメンバーとなった。
    • 同運動では、全ての人は平等であり、リーダーであるディヴァイン神父がキリストの再来であると信じられており、信者に喫煙、飲酒、猥褻、不敬、卑俗、贈り物の授与、贈与、チップを禁ずる禁欲生活を要求した。
    • モリスはブラザー・ピエールと改名し、ディヴァインの信者となった。
    • 特別な才能は無いもののジャズ・エイジに便利に使われて調子に乗っていたら、大恐慌で仕事無くしてカルトにハマると。モリスの没年は不明という事実を想起すると結構切ないものがあります。
  • New Orleans Owls「White Ghost Shivers」(1926)
    • 1912年からニューオリンズ周辺で活動していたインヴィンシブルズ・ストリング・バンドから発展したバンド。
    • バンジョーのナッピー・ラメアはオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドの「パレスティナ」の録音に参加している。ニュー・オリンズ・オウルズはラメアのプロとして最初の仕事。ラメアはその後、ニューヨークへ移り1930〜1934年はベン・ポラック楽団、1935〜1942年はボブ・クロスビー楽団を中心に活躍。1940年代以降はロサンゼルスで活動。1955年には双頭リーダーのディキシーランド・バンドを結成し、全米をはじめ日本でもツアーをした。
  • Andy Preer and The Cotton Club Orchestra「I Found a New Baby」(1927)
    • コットンクラブのハウスバンド。1920年代前半は「ミズーリアンズ」として活動。
    • バンドは再びミズーリアンズとして、エセル・ウォーターズとツアー。
    • 1929年には、キャブ・キャロウェイと組んでコットン・クラブで演奏。1930年にはキャロウェイのバンドの中核として迎え入れられた。
    • この曲が唯一の録音。
  • Louis Dumaine's Jazzola Eight「Pretty Audrey」(1927)
    • デュメインの曲は後にバンク・ジョンソンらによってカバーされた。
  • Dixon's Jazz Maniacs「Crazy Quilt」(1927)
    • ヴァンス・ディクソンは1920年代にシカゴで活動したクラリネット、アルトサックス奏者。
    • 自身のトリオで録音したこの曲は非常に有名。
    • ジョニー・パース、ジミー・オブライアント、タイニー・パーハムらと多くの録音を残した。
  • Ross De Luxe Syncopaters「Don't You Wanna Know」(1927)
    • アロンソ・ロス率いるマイアミ出身の楽団。1927年に一連の録音を実施。
    • 1928年、ニューヨークのローズモント・ボールルームで2週間の活動の後に解散。
  • Reb Spikes Majors and Minors「My Mammy's Blues」(1927)
    • オクラホマ出身のベンジャミン(レブ)とジョンのスパイクス兄弟がカリフォルニアで率いた楽団。西海岸のパイオニア
    • その後、サンフランシスコで1901年開業の「パーセルズ・ソー・ディファレント・クラブ」で演奏。世界最高のサックス奏者として宣伝された。
    • 1917年にロサンゼルスに移り、音楽出版社を開業。1922年にはキッド・オリーによるアフロ・アメリカン初のジャズ録音を実施。クラブも経営した。
    • スパイクス兄弟はいくつかの名曲の作曲(作詞)家としてクレジットされているが、出版しただけで実質的には関与していないと考えられている(クラレンス・ウィリアムズと同様)。
  • Charles Creath's Jazz-O-Maniacs「Butter Finger Blues」(1927)
    • トランペット奏者チャールズ・クレスが1916年から1940年の間セントルイスで率いた楽団。
    • ダンスホールの剃刀ファイトを一音で止めた、という逸話があるらしい。
  • Sam Morgan's Jazz Band「Everybody's Talking About Sammy」(1927)
  • Lou Weimer's Gold and Black Aces「Merry Widow's Got a Sweetie Now」(1928)
    • パーデュー大学のカレッジ・バンド(金と黒はパーデュー大学のカラー)。
    • 本当はWeimerじゃなくてWeinerなのに、誤記がいつまでも正されない悲しい人。録音は2曲だけ。
  • Slim Lamar's Southerners「Goofus」(1928)
  • J. Neal Montgomery and His Orchestra「Auburn Ave. Stomp」(1929)
  • The Whoopee Makers「Rush Inn Blues」(1929)
    • テナーサックス奏者ジャック・ペティスが率いたバンドの1つ。
    • キャリア初期にはシカゴでエルマー・ショーベルやポール・メアーズと活動した後、ニューオリンズ・リズム・キングスに加入。
    • 1924年、ベン・バーニー楽団に加入、翌年、短編映画でソロを披露。
    • ジャック・ティーガーデン、エイドリアン・ロリーニ、ジョー・ヴェヌーティらとも活動した。
    • 1930年以降、表に表れたのは1937年の録音1度だけ。その後の消息は熱心な調査にも関わらず不明。ミステリー。
  • Paul Howard's Quality Serenaders「The Ramble」(1929)
    • 西海岸で活動したテナーサックス奏者。
    • 主なアレンジメントはサックス奏者であり殆どの録音曲の作曲者であるチャーリー・ローレンス。
    • ニューオリンズの葬式(所謂「セカンド・ライン」の由来)で埋葬後家に戻るときにやる賑やかな音楽を「ランブル」というらしい。