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- 「ザッツ・ア・プレンティ」の翌日、同メンバーでの録音。
- New Orleans Rhythm Kings「Weary Blues」(1923)
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- 「ザッツ・ア・プレンティ」と同日、同メンバーでの録音。
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- アーティー・マシューズ作曲のスタンダード。「シェイク・イット・アンド・ブレイク・イット」のタイトルで多く演奏された。
- Original Dixieland Jazz Band「Crazy Blues」(1921)
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- 「ホーム・アゲイン・ブルース」と同日、同メンバーでの録音。
- King Oliver「Sugar Foot Stomp」(1926)
- McKinney's Cotton Pickers「Cherry」(1928)
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- 「ミレンバーグ・ジョイズ」の翌日の録音。
- Scott Joplin「The Entertainer」(1902)
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- 映画「スティング」のアレ。これも演奏者不明のピアノロールの再生録音だと思われます。
- Kid Ory「Too Bad」(1926)
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- キング・オリバーズ・ジャズ・バンド名義での録音。
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- ビリー・マイヤーズとエルマー・ショーベル(元ニューオリンズ・リズム・キングス)の曲。
- Bix Beiderbecke「Singin' The Blues」(1927)
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- 「トランボロジー」と同日、同メンバーでの録音。ビックス・バイダーベック畢生の名演。
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- フランク・トランバウアー・アンド・ヒズ・オーケストラ名義での録音。
- Bix Beiderbecke「Ostric Walk」(1927)
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- フランク・トランバウアー・アンド・ヒズ・オーケストラ名義。
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- パーソネルはトランバウアー、バイダーベック、ビル・ランク(チューバ)、ドン・マレイ(クラリネット、バスサックス)、アーネスト・レッド・イングル(アルトサックス)、イッツィー・リスキン(ピアノ)、エディ・ラング(ギター)、チョウンシー・モアハウス(ドラム)。
- Johnny Dodds「If You Want To Be My Sugar Papa」(1927)
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- ジミー・バートランズ・ウォッシュボード・ウィザーズ名義。
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- パーソネルはルイ・アームストロング(コルネット)、ジョニー・ドッズ(クラリネット)、ジミー・ブライス(ピアノ)、ジミー・バートランド(ウォッシュボード)。
- Johnny Dodds「Memphis Shake」(1926)
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- ディキシーランド・ジャグ・ブロワーズ名義。
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- 作曲はメンバーのヘンリー・クリフォード。ジャグ担当。
- Red Nichols「Avalon」(1928)
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- ヴィンセント・ローズ作曲、アル・ジョルソンとバド・デシルバが作詞。ショー「シンバッド」でジョルソンが歌った。プッチーニ「トスカ」からの盗作と告訴され賠償金を支払った。ナット・キング・コールの歌でも知られる。
- Louis Armstrong「Skid-Dat-De-Dat」(1926)
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- ホット・ファイヴ名義。
- Louis Armstrong「Willie The Weeper」(1927)
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- ホット・セヴン名義。
- Jack Teagarden「She's a Great Great Girl」(1928)
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- ロジャー・ウルフ・カーン・アンド・ヒズ・オーケストラ名義。
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- 1920年頃、ペック・ケリーズ・バッド・ボーイズとしてテキサスでプロとして演奏を開始。1922年には自身のバンドを結成しカンザスシティで活動。1927年に初録音。同年ニューヨークに移ると、1928年にはベン・ポラック楽団で活動。
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- 1939年にビッグバンドを結成し1946年まで活動するが商業的には成功しなかった。1947年から1951年の間は、ルイ・アームストロングのオールスターズで活動。オールスターズ脱退以降は自身のセクステットを率い、ジミー・マクパートランドやアール・ハインズ(1957年のヨーロッパ・ツアー時)と活動した。
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- 「トライ・ア・リトル・テンダネス」で有名なハリー・ウッズ作曲。
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- 追記。
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- 「シーズ・ア・グレート・グレート・ガール」と「ノーバディズ・スウィートハート」が同じ曲なのはどういうことだと調べてみたら。
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- 「シーズ・ア・グレート・グレート・ガール」と間違って「ノーバディズ・スウィートハート」が収録されているという驚愕の事実が発覚しました。誰の何時の録音なんだ、これは。
- Buster Bailey「Sensation」(1927)
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- 多くのメンフィスのミュージシャン同様、バスター・ベイリー(クラリネット)はW.C.ハンディの楽団でキャリアを開始し、1917年から1919年までの間ツアーを行った。
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- 1919年にシカゴでフランツ・シェップのトレーニングを受けると、シカゴのアースキン・テイトのヴェンドーム・オーケストラに加入し、1923年まで活動。その後約1年間はキング・オリバーと活動。
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- 1950年代はレッド・アレンらと活動。1961年から1963年の間はワイルド・ビル・デイヴィソン、1963年から1964年にはセインツ・アンド・シナーズで活動。1965年にルイ・アームストロングのオールスターズに加わり、1967年に死去するまで活動。
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- 1922年には自身のバンドを結成し、クラブ・アラバム(後にローズランド・ボールルームに移転)に出演。自身の他にドン・レッドマンもアレンジャーとして在籍した他、コールマン・ホーキンズ、レッド・アレン、レックス・スチュワート、トミー・ラドニア、ドク・チーサム、ロイ・エルドリッジ、ベニー・カーター、チュー・ベリーも在籍。1924年にはルイ・アームストロングも在籍した。1939年解散。
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- 解散後はベニー・グッドマン楽団にピアニスト兼アレンジャーとして加入。ステージ演奏における人種混合バンドの初めての例。1943年に脱退するが1947年に再加入。1948年から1949年にはエセル・ウォーターズとツアー。1950年に卒中を起こし、演奏不可能に。1952年死去。
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- オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドの「センセイション・ラグ」がオリジナル、ということで良いのでしょうか。
- J.C.Higginbotham「Swing Out」(1929)
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- ヘンリー・レッド・アレン・アンド・ヒズ・ニューヨーク・オーケストラ名義。「イット・シュッド・ビー・ユー」の翌日、同メンバーでの録音。
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- ヒギンボーサムとアレンの共作曲。
- Jabbo Smith's Rhythm Aces「Little Willie Blues」(1929)
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- 「ジャズ・バトル」録音時のメンバーにヘイズ・アルヴィス(チューバ)が加わった編成。
- Luis Russell's Hot Six「29th & Dearborn」(1926)
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- 1935年にはルイ・アームストロングに雇われ、以後8年間アームストロングのバックアップを努めた。
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- 1943年から1948年の間は自身のバンドを率い、サヴォイやアポロで演奏したほか、幾つかの録音も残した。
- Clarence Williams' Blue Seven「Would Ja'」(1926)