Slim Smith & The Uniques 「The Best of The Uniques 1967-1969」

Best of 1967-1969

  • トゥインクル・ブラザーズの初期音源集は「オールド・タイム・サムシング」というところまで突き止めたのですが、これが入手できずガックリ。
  • という訳でまずスリム・スミスから。なにやら近年発売された2枚組ベスト「キープ・ザット・ラヴライト・シャイニング」もあるようですが、曲目も殆ど重複しないようですし、いきなりヴォリュームがあるのも疲れそうなので、まずこちらの1枚ものベストで。
  • やはりスリム・スミスは良い。「ピープル・ロックステディ」とか「ウォッチ・ディス・サウンド」とかもう涕涙もの。何故こんなに琴線に触れるのか。
  • 今一つ分かり難かったので以下スリム・スミスのキャリアのまとめ。
    • 1948年生まれ。本名はキース・スミス。
    • 1960年代初頭、10代半ばにしてコクソン・ドッドの下でソロ活動を開始するとともに名門ザ・テクニークス(ウィンストン・ライリーが結成)に参加。間もなくリードヴォーカルを勤めるようになる。コクソン・ドッドのスタジオ・ワンで活動するのと同時にザ・テクニークスはデューク・リードのトレジャー・アイルでも録音を行った。
    • スリム・スミス、フランクリン・ホワイトの2人がテクニークスを離脱してロイ・シャーリーと1966年に結成したトリオが第1次ユニークス。ケン・ラック、J.J.ジョンソンといったプロデューサーの下で録音を行ったが1年ほどですぐに解散。
    • その後、プリンス・バスターの下で録音を行った後、コクソン・ドッドの下に戻りソロ活動を再開。スタジオ・ワンで「ラファー・イェット」「アイル・ネヴァー・レット・ゴー」「トライ・アゲイン」「マーシーマーシー」といった多くのクラシックを残す。
    • 1967年、ジミー・“バスター”・ライリー、ロイド・チャーマーズ(ロイド・ティレル)と第2次ユニークスを結成。1968年にはウィリー・ロウのプロデュースで録音を行ったほか、1967〜1968年にはバニー・リーのプロデュースで「マイ・カンバセッション」「ガールズ・ライク・ダート」「ジプシー・ウーマン」「ストーリー・オブ・ラヴ」「ザ・ビアティテュード」といったクラシックの録音を行い、バニー・リーの成功の礎となる。
    • 1968年、ロイド・ティレルが自身のレーベル「トランプ」を立ち上げ、ユニークス「ウォッチ・ディス・サウンド」をリリースして大ヒットするが、メンバーとロイド・ティレルの間の不和やスリム・スミスのソロ活動のため、同年グループは解散。
    • 1969年からは3度目のソロ活動を開始。バニー・リーの下で1973年(ライナーによれば1972年10月3日)の死の直前まで活動を行う。
    • 1973年、若干25歳で死去。一説によれば、自身のキャリアが低迷していると考え鬱に陥ったスミスが窓を手で叩き割ったまま深夜に歩き続け、出血死したとのことである。一方、深夜のパーティーから帰宅したスミスが閉め出されていることに気付いたため窓を割り、発見された時には出血死していたとジミー・ライリーは説明しているが、何れにせよ詳細な死因は不明である。
  • 因みに「キープ・ザット・ラヴライト・シャイニング」は初期のテクニークスやユニークスでの録音から1973年の死の直前の録音までのキャリア全体を通じたベスト。本盤はユニークス時代のベスト。
  • 「キープ・ザット・ラヴライト・シャイニング」の方が良かったかも知れない。事前調査不足による失敗。