- 久々に落語。6代目三遊亭圓生。
- 三遊亭圓生は、演目が多すぎて何を聞くべきかよく分からなかったものの、京須偕充が「圓生の録音室」で「圓生さんの『淀五郎』はよかった。他をよせつけなかったと言っていい」と賞賛していたので「淀五郎」にしてみました。
- 「青黛」とか、「花道の七三」とか、用語調べから始まるのはいつものこと。以下圓生本人による解説。
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- 「芝居茶屋というものは、今はもうありませんが、昔は茶屋が席を押さえていましたから、ちゃんとしたいい席で見物しようというときには茶屋を通すのがふつうです。そのほか見物客が行き帰りに着替えをしたり、見物の弁当の仕出しをしたりします。芝居の稽古に使われることもあったようです。芝居小屋に隣接してあったものです。震災後には姿を消しました。」
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- 「天井を見せられる、というのは、古い狂言の中のある型から出た言い方です。いじわるな人物が、右から進物を出されれば左を向き、左から出されれば右を向き、前から出されれば天井を向いて拒絶するのだそうです。」
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- 「宮地というのは神社の境内などで興行するところから出た小芝居の別称で、猿若町の三座あたりに比べたらまるで役者の格が低いのです。」
- 用語が頭に入り、年配者2人に目をかけられつつ空回りする青年の成長譚として聴けるようになるとジワッと泣けました(「てぇげぇそんなこったろうと思ったよ」)。
- 映像がないと演技の向上振りがよく分からないのが難点と言えば難点。
- 「嬶ァだのボウフラなんてものは棒を突っ込んで掻き回しゃいくらだって出つくるんだ」というのは直截な下ネタでドキッとしました。
- 「子供が先にできるのは八頭ばかり」というのは里芋における親芋と子芋の収穫の順番という理解で良い筈。
- 「淀五郎」ともども、声色の使い分けが流石に上手いと思いましたが、子供の声色はちょっとくさく感じられました。
- 「強飯の女郎買い(いわゆる子別れ(上))」も聴いてみたい。
- 久々でしたがやはり落語も面白いのでポツポツと聴いていきたい。