桂枝雀 「桂枝雀落語大全(01)」

枝雀落語大全(1)

  • もう一つ桂枝雀で何かと京須偕充古典落語CDの名盤」を片手に検討した結果、「高津の富」と「つぼ算」を収録した第1集を購入。
  • 同書では「ファンタスティックな口車が絶妙」と評されていた「高津の富」。冒頭の大ボラ(「嘘じゃありゃせん、ほんまじゃで」)や当選を確認した後(たたたっあたたったたった...)の演出等はクドくてあまり好きではありませんでしたが、「子ぇの、子ぇの子ぇの、子ぇの」のゴリ押しには笑いがこらえきれません。
  • 二番の五百両が当たるとビリケンさんのお告げがあった男(松ちゃん)の妄想が暴走する中盤が最高。「あてからと違うの、家の人から、松っちゃんから、うん、あては知らんこと、家の人から、松ちゃんから」とどんどん小さくなる声量や、「女子相手にしてやったとった、やったとったしてるうちに、ホローッと酔いが回ってきまんがな、なんとも言えん気持ちになって『おいいっぺん、え、寝よかぁ』」〜「目さますと楊子くわえてシュー」のループが死ぬほど笑える。
  • 「女ののろけをいろいろという場面は実は『三人兄弟』という別の落語からの引用」とのこと。
  • 「赤襟さんでは年季が長い、婀娜な年増にゃ真夫がある」とは何のことかと思いましたが、赤襟=年若い娼妓とのこと。また、「朝風呂、丹前、金火鉢」とは道楽者の表現だそうですが、元来はこの前に「握り金玉」がつくようです。
  • 「城の馬場から天満の天神さん、天神橋筋をば南へ南へ、松屋町二ツ井戸、道頓堀、心斎橋筋をばブラーブラ見物いたしまして八幡筋を東、やってまいりましたのが高津神社でございます」とスパッと言い切るところも落語的で良い心持ち。
  • 「誰がやってもおもしろく聴けるが、二代目桂枝雀が図抜けていた。あのリズムの規則性が崩壊したようなテンポで語られると、瀬戸物屋のおやじでなくても脳みそが液状化しそうな感覚におちいってしまう」と京須偕充大プッシュの「つぼ算」。
  • 大阪市内中心部には井戸を掘っても飲料水になるようないい水は出にくかったといいます。上水道が出来るまでは、家庭で使う水を舟に積んで水屋が売りに来ました」というのは興味深い。東京はどうだったんでしょうか。
  • 「ちょっとお知らせします」でホワ〜っと立ち上がる序盤、買物天狗による道中買物指南、瀬戸物屋でのやりとりとグイグイと加速していく様が格好良い。
  • 「さて、壷を買うだんになってから、勘定がわからなくなる。番頭がうろたえる。ますます頭がこんがらかって、ソロバンを持ってうろうろする。そこへカンテキ(七輪のこと)を買いにくる客がある。番頭は、それを適当にあしらっておいて、またソロバンの方にとりかかる。勘定のまちがいが解りかけるとまた、カンテキの客が声をかける。このカンテキの客は、笑いをとるうえで大事な存在なのですが、二度のやりとりが二度とも、このお客は、一言のセリフも言いません。すべて番頭の一人しゃべりですが、聞き手のお客には、両者の間にセリフのやりとりがあったような印象を与えられるのです。これはしゃべりの間や表情もたいせつですが、視線のはたらき、これがたいへんに物を言います」と桂米朝も解説していました(「落語と私」)。
  • ごく短いマクラでの「至って気楽な商売」という発言が微妙に切ない。
  • 上岡龍太郎のライナーでは、自宅に招いておいて、鍋〜マリオ〜卓球と次々と客を放ったらかしにして最後は風呂に入っていたという凄いエピソードが紹介されていました。「気の寄る性質」と自称するだけあります。凄い。
  • 次は特段考えていなかったのですが、上田文世「笑わせて笑わせて桂枝雀」の写真を見てしまうと、「かぜうどん」の映像が観たいところ。