桂米朝 「落語と私」

落語と私 (文春文庫)

  • 元々中学生、高校生を対象に書かれた物だけあって、全体的に軽めなトーンの中、「名作・駄作も演者しだい」で師匠・四代目桂米團治による二代目三遊亭円馬の「しの字嫌い」の解説を引用したりして、突如として濃度が上昇するところが面白い。
  • 我が国においても、プリーチングがエンターテイメントであった時代があったのですか(「落語はいつはじまったか」)。
  • 蜃気楼龍玉の説明を読んで、蜃気楼の蜃が大きなハマグリのことだと知って驚愕しました。「北陸の海岸などにあらわれる蜃気楼・・・・・、むかしは大きなハマグリが気をはくと、そこへ出現するという伝説がありまして、蜃気楼という字を用いました。蜃というのは大きな蛤のことです」とのこと。
  • 「モタレは気分転換の役割です。おはぎとお汁粉の間でのむお茶のようなもです。『モタレ』を『膝がわり』ともいいますが、この言葉がよくその気分を現していると思います」というのは古谷三敏「寄席芸人伝」にもありました(「ひざがわり右朝」)。曰く「ワキであってシテじゃねえ、だから大ウケしちゃいけねえ。かといって飽きさしゃ客は帰っちまう。そこの呼吸の名人芸を、おめえたち、学びな、右朝さんから。」
  • ステテコの円遊、ヘラヘラ坊万橘も古谷三敏「寄席芸人伝」で流用というか参照というかされてます(「俥屋弥七」と「ヘラヘラの万太郎」、「学者の文平」)。
  • 初代桂文枝の十八番「三十石」を百両で質入れしてネタを封印、その後ひいき客が質受けして解禁というエピソードは面白い。
  • 初代桂春団治と一般に言われているのは「厳密に言うと二代目」というのは知りませんでした。「これは芸界にはよくあることで、初代が無名の存在でしかなかった時には、二代目であっても、その名前をパッと世間にひろげた人が初代とされてしまいます」、「もう今では、訂正のしようもなくなってしまいました」ということだそうです。
  • 「芸の面白さがわかり、たまにはお客の前で気持ちよくやれて、十分に受けたときの楽しさ・・・・・、それがあればこそ定収入にあまんじて、みなこの世界で歳をとってゆくのです」という文章にグッときました。「みなこの世界で歳をとってゆくのです」というところが実に良い(「だから落語はやめられない」)。
  • 古谷三敏「寄席芸人伝」の中公文庫改版の第4巻以降はいつ出るんでしょうか。楽しみに待っているのですが。