菊地成孔・大谷能生 「アフロ・ディズニー−エイゼンシュテインから『オタク=黒人』まで」

アフロ・ディズニー エイゼンシュテインから「オタク=黒人」まで

  • 菊地成孔大谷能生による慶応大学での講義録。これまでの講義録は、「東京大学アルバート・アイラー」が文庫化されるほど売れた一方、「M/D マイルス・デューイ・デイヴィス?世研究」は絶版になってしまったようですが、どちらも近年希に見る面白さでした。
  • 予めアマゾンで予約しておいたのですが、届いてみれば、「黒、白、蛍光ピンクという、芸能界暴露本の3原色を使った表紙をめくると、アジビラみたいな威勢の良い紹介文が飛び込んで来るという、おっさんセンス核爆発」、「これは我が国の出版界屈指の男の中の男、文芸春秋社様のお仕事でありまして、著者のセンスは毛の先ほども入っておりません」と本人が言うぐらいの酷い装丁。店頭で現物を見たら購入を躊躇ったかもしれない程。
  • 「視聴覚の分断と統合<見ながら聴くことはどれくらい可能か?>」を表テーマ、「二〇世紀特有の幼児性に与えたメディアの影響」を裏テーマとして繰り返される9つの変奏という構成。提示されたテーマは十分に知的好奇心を刺激するものですが、「最終回とはいえ、収斂する様なドラマトゥルギーはありません」とあるように、面白くはあるけれど投げっ放し。
  • 「前期の講義録を事後的にまとめてから−わたしが演奏家であることと、余りに密接過ぎる関係性をイメージしないで頂きたいのですが、言ってみればこれは、即興演奏を録音し、その後アナリーゼする行為と、ほとんど、というより、全く同じです−それを、八人の、年齢も専門分野も違う学者とクリエーターたちに送り、それを叩き台にした講義およびわたしとの対話をおこなって頂くことで後期講義を作り出す、というスタイルで進められます」という構想のようで、いわば本書は前振りの段階(「前期は前フリとも、頭部とも、上巻とも、無駄口とも言えるでしょう」)。後期の講義録を読んで初めて全体像が見えるのでしょう。
  • 「しかし、二〇世紀においても、芸術の現場における価値の交換を重んじる、いわば一九世紀的な社交と儀式性を充分に残し、それによって駆動していった文化が、わたしが知っているだけで、確実に二つありました。それは、ファッションにおけるハイ・モード・カルチャーと、アメリカにおけるブラック・ミュージックのカルチャーです」という視点は実に刺激的ですが、本書を読む限りではまだ腑に落ちるという段階にはありません。
  • アーヴィング・バーリンが指一本でメロディー・ラインだけを作曲していたとは知りませんでしたが、101歳まで存命だったことも知りませんでした(1962年に引退していますが、亡くなったのは1989年)。
  • 後期講義録を楽しみに待ちたいと思います。