- 桂枝雀のDVDボックス。ディスク7は「八五郎坊主」(1980年11月23日)と「くやみ」(1982年4月25日)。 コメンタリーは「八五郎坊主」が小佐田定雄と桂雀三郎、「くやみ」が桂雀三郎に代わって桂ざこば。
- 「八五郎坊主」のマクラはSR。「うん、君のこの、手のぬくもりで・・・」というのは良く分かりませんでしたが、「一日も早くお父さんに会えますように」「そんな事言うもんじゃありません。お父様には、私たちの分も長生きして頂かなくっちゃ」は面白かった。出てきませんでしたが、「母さん、アメリカって遠いの?」「黙って泳ぎなさい」も聞きたかった。
- 「つまらん奴は坊主になれ」と聞いて本当に坊主になってしまう唐突な幕開け。がらっ八のエキセントリックな言動に笑いつつも、しっかりと10月の風の季節感が感じられるところは落語ならでは。10月という設定は桂枝雀のオリジナル設定とのこと(小佐田定雄談)。
- 「左右には鶏頭の花が真っ赤に咲いてございます」という一節が、桂文蝶から「八五郎坊主」を教わるきっかけだったそうです(小佐田定雄談)。夏の盛りに咲く花という先入観がありましたが、10月に咲いていても全然おかしいことはなさそう。
- 便所に落ちている飯粒を拾って食べたという「めしの佐太郎」のモデルは実在した佐野の豪商食野家とのこと。
- 「坊主抱いて寝りゃかわゆてならぬ、どこが尻やら頭やら」という一節に笑ってしまいましたが、ちょんこ節にはもっと直截な歌詞が多数ある(昼日中に歩きながら歌うようなものではない)らしい。三遊亭百生のヴァージョンでは「プンス節」(小佐田定雄談)。
- 「くやみ」はマクラのお悔やみの挨拶の実演(「何と申し上げてよろしいやら」)も可笑しい。炭屋の大将、最上屋の女子衆ときて又さんの延々と続くノロケが最高潮に達した後の小声での「スビバセン」には不意を突かれて笑いしました。しかも、それでは終わらず「けどまぁ文句だけでも」と言ってまだ喋るという。
- 「後に『ノロケを言ってはいけない状況であるということを、一時は忘れてもいいが全く忘れてしまってはいけない、チョイチョイ気にしなければならない』ということに気づいてそのように演らしてもらうように心がけています。確かに演者がのりすぎてはいけないネタなんですが、ついのりすぎてしまうのでございます」と語ったそうですが、この時点では殆ど我に返らず、イケイケでノロケ倒しています。
- 次はいよいよ最終巻。「愛宕山」と「親子酒」。