- 京須偕充によれば、「愛宕山」は「原典の上方噺では幇間が京都人、旦那が大阪人で、二人の意地の張り合いに二都の屈折した歴史と伝統が感じられる。(中略)地味にじっくり語ってもどうにもならないが、オーヴァーアクションで騒ぎまくれば空々しくなるだけだから、見かけの明るさの割りに意地の悪い噺のようである」とのこと。
- 「ごおじゃごじゃ、ごおじゃのあとに誰がつく」は目隠しした子供に声をかけて人を当てさせる京都辺りの子供の遊び。(小佐田定雄談)。
- 「親子酒」はテキストであらすじを読んでも最高に可笑しく、聞いてみたいと思っていた噺の一つ。
- 京須偕充によれば、「短い噺だが老夫婦の駆け引きや、父子の酔態のタイプのちがいを演じわける必要があるから、若手が演じてもなかなか醍醐味は出ない。年功を積んだ一流どころで味わうべき噺だ」とのこと。
- 桂米團治のコメンタリーが「高津の富」とは打って変わって、桂米朝による芸風批判(「あいつの考えてることは分からんなぁ」「なんでこんな無駄な動きをすんねやぁ」)、本人の弟子入りのエピソード(「一つだけ教えましょう」)、療養中の緊急登板(「こっち向いて『こんにちは』言うた人間が、なんでまたこっち向いて『こっち入れ』言わないかんのかなぁ思て、それ考えているうちに病気になってしもて・・・」)など、アグレッシブにエピソードを紹介していて、充実の内容。
- 桂枝雀の酔態が心ゆくまで堪能でき、「首提灯(上燗屋)」が収録されていない不満を解消してくれます。