池澤夏樹 「パレオマニア−大英博物館からの13の旅」

パレオマニア―大英博物館からの13の旅 (集英社文庫)

  • 月刊プレイボーイで連載中に時々読んでおり、文庫化されて平積みになっているのを書店で見かけてついつい懐かしくて購入。光陰矢のごとし、今や月刊プレイボーイそのものが休刊してしまいました。
  • 1年ほど前に大英博物館に行った経験も購入の一因だったのですが、確かに見たなという記憶があるのは人面有翼牡牛像(ラマッスー)ぐらいでした(「藪の中の牡山羊」は探したけど実物を見つけられなかった)。あまりに沢山の陳列物があまりに沢山並んでいるので、一つ一つの記憶が殆ど残っていません。
  • 池澤夏樹の著作を読む度にいつも思うのですが、博識な割に記述内容が常識的で刺激が少なく、実際に現地を訪れている割には紀行文としての魅力にも乏しい気がします。図式的に割り切れずに溢れてくるものが感じられないというか。
  • 個別に深く掘り下げないのであれば、結局のところ自分(の主観)を前面に押していくしかないと思うのですが、「男」などという言い訳がましい人称の設定に苛々します(「いや、本当に旅をしたのはぼく、すなわち池澤夏樹で、男というのはぼくの分身であった。旅人の人格は一人称と三人称の間を行きつ戻りつした。旅をしたのは彼か我か、今でも確定しきれない気がする」)。
  • 無理やりアボリジニを登場させておいて、「彼らは大英博物館を超えている。それに気づくための長い旅路だった」などという結論も陳腐極まりなく、鶴見俊輔による解説(「日本はどこで道をふみまちがえたのか。人間はどこで道をふみまちがえたのか」)もいかにもという感じで、消化不良な感触を伴いつつ読み進めてきて最後に大きく落胆。
  • それでも、亡命イラン人の友人が語るイランの歴史(「ただ、政治が悪かったんだよ。パーレビがあまりに勝手なことをして、その反動でホメイニが革命を起こし、逆の方に振り子を振った。少し落ち着いたと思ったらイラクが戦争を仕掛けてきた。アメリカは(だいたい外交となるとヒステリックな国だから)今もってイランを敵国と見なし、禁輸を解こうとしない」)や、カナダ・クイーン・シャーロット諸島の静けさ(「どこに行ってもあまりに静かなのだ、もともと世界はこんなにも静かなところだったかと考える。エンジンとスピーカーが発明される前は、どこに行っても、鳥の声と、波の音、風が梢を渡る音、そして時折のわずかな人の声だけしか聞こえなかった」)などは印象的で、このような魅力的な細部がもっとあれば全体の印象が変わっていたのかもしれません。