植草甚一 「ワンダー植草・甚一ランド」

ワンダー植草・甚一ランド

  • 昔、2004年の復刊以前に、歯抜け状態の「植草甚一スクラップ・ブック」シリーズが書店に並んでいた記憶は残っていますが、実際に植草甚一の著作を手に取るのはこれが初めて。1冊目として適切なのかどうかもよく分かりません。
  • 小西康陽「ぼくは散歩と雑学が好きだった。小西康陽のコラム1993−2008」からの繋がりで購入してみましたが、確かに同じ様態(A5版、複数段組の混在等々)で、晶文社のヴァラエティ・ブック(本作の他、小林信彦「東京のロビンソン・クルーソー」や双葉十三郎「映画の学校」等があるらしい)をひな形にしたことが伺えます。
  • 1908年(明治41年)、東京の下町(日本橋)生まれというと、安藤鶴夫(同じく1908年、浅草生まれ)を想起せざるを得ませんが、同じ通人・粋人でもかなり極端な路線の違いで、非常に興味深いです。
  • 東宝を退社するのが1948年(40歳)、ジャズを聴き始めるのが1956年(48歳)、「僕は散歩と雑学が好き」の刊行が1970年(62歳)。ブームが来たときには既に還暦近い老人だったというのも面白い。ある種不器用に好きなことだけを追いかけて生き、晩年になってからかつてないほど世間から愛されて死ぬという人生も一つの憧れの対象。
  • 他方で、妙に虚無的なトーンのあとがき(「おまえって、ほんとうにイヤなやつだよ」)を読んでいると、本人が幸福だったかどうかはよく分からなくなってきます。津野海太郎「したくないことはしない−植草甚一の青春」を読むと分かるのかもしれません。
  • J・J氏という呼称は承知していたのですが、よくよく考えてみるとジンイチ・ウエクサのイニシャルはJ・Jではありません。
  • 音楽関係の記述にはやや違和感を覚えましたが、書籍については、購入する物量(小西康陽のレコードなみ)と知識の豊富さに圧倒されます。全く知らない作家や作品名も頻出しますが、有名どころでも、「『大いなる眠り』の原題はThe Big Sleepである。『なんていう素晴らしい題名なんだろう』と1939年のことだったが、ニューヨーク・タイムズのブック・レビューに、クノップ社の大きな新刊広告が出たとき、ぼくは目をみはったものだ。ほんとうの話が、それから毎日のように『ビッグ・スリープ』という言葉をくりかえしながら、読みたくてしょうがなかったが、そのころは洋書の注文がしにくい世界情勢になっていた」、「そうしてそのとき『おや、アーネスト・ヘミングウェイっていう新人が出てきたんだなあ』とつぶやいたのである」、「それ(ヘンリー・ミラー「北回帰線」)を読んだときはびっくりしました。とにかくうちにいられなくなって、その本を持って表へ、あっちこっちの喫茶店にはいったりして読んだ経験がありますね、ちょうど戦争中でした」などという記述には、リアルタイムで読みまくってきた凄みを感じます。
  • 「ジャズ喫茶『ディグ』で読んでいるうちに除夜がすぎ、ホレス・シルヴァー五重奏団の黒人ドラマーが入ってきた。話のついでに、パターソンとリストンのボクシング試合はどっちが勝つとおもうかと訊くと『そいつはパターソンだよ』と言下に答えたあとで『リストンは頭が足りないからな』とつけたし、指先を頭にちかづけてウズマキにしてみせた」なんてサラッと書いているのは今読んでも粋の極みで、当時ならなおのこと格好良く映ったのでしょう。