三代目三遊亭金馬 「浮世断語」

浮世断語 (河出文庫)

  • この表紙を書店で発見して飛び付くように購入。長いこと放置していましたが、何となく最近改めて落語気分なので手に取ってみました。
  • 「この随筆はひとりよがりの芸談ではない。いうならば明治大正昭和三代にわたる世相や人心の推移変遷を筆にした観察記であり、落語そのものの真の醍醐味を語った趣味論であり、得がたい風俗史の資料メモであり、言語生活録である。面白さを追求した教養人、金馬に始まり金馬に帰る、落語の名著の決定版」という惹句が本書の内容を適切に表していると思います。
  • 今日馴染みのない固有名詞や随所に挿入される川柳には理解不能なものも多いのですが、当時の雰囲気が偲べる上に独特のリズムのようなものも感じられて良い感じです。
  • はしがきに「つちのえゐぬ年」とありますが、みなもと太郎風雲児たち幕末編(16)」で紹介されていた十干・十二支でいうところの、戊(ぼ/つちのえ)と戌(いぬ)の組み合わせ「戊戌(ぼじゅつ)」が生きていたという実例。1958年。
  • 「珍芸変人」を読んで、ステテコの円遊がなぜここまで有名なのかが初めて実感できました。曰く「その頃の噺家は、高座で踊るにも座蒲団をふたつ折にして前へ横におき、そのなかだけでしゃがんで踊った。これを座り踊りといっていた。それがこの人だけは立ち上がって、その頃としては珍無類の踊りを始めたので、一時は八丁荒しと渾名をされた。この人が寄席へかかると八丁四方の寄席の客足がぴったりととまる」。
  • 更に、古谷三敏「寄席芸人伝」にも出て来たヘラヘラの万橘は、「太鼓が鳴ったら賑かだ、大根が煮えたら柔かだ」という文句までそのままとは驚きました。
  • 「変名と渾名」で、「亡くなった四代目小さんという人は人に渾名をつけるのがうまかった。自分の弟子にも顔が丸くて甘栗に似ているというので『栗之助』とつけた」とありますが、これは明記されていませんが五代目柳家小さんのことだと思われます。
  • 雀を酔わせて捕まえるという大好きなマクラが初代柳家小せん(盲の小せん)の発案だとは知りませんでしたが、実際に「昭和三十三年の三五日の東京新聞の夕刊に『スズメ酔払う』という見出しで、雀の手捕えの話が出ている」とは更に驚き。
  • 飼犬の名前が「寿限無」というのがポップで良い雰囲気。三代目寿限無までいた様子。
  • 「馬」に出てくる、浅草寺の絵馬の話が即座には理解できなかったのですが、大型で画家に描かせるなどして奉納者が用意する絵馬(奉納額)というものもあるそうです。見たことがあるようなないような。
  • 自身の片足切断事故について語った「奇禍」が味わい深い。大怪我したとはいえ、「こんどの怪我で世の人の情けというものがしみじみとわかったような気がする。顔を知らず名も知らぬ日本中のファンから激励やお見舞の手紙、神様の御守や御供物を送って下さる。なかには水垢離をとっているとか、断ち物をしたという人までがある。今日あって明日に忘れられる噺家稼業であるが、下手でも芸人は有難いなあとしみじみ思った。各放送・テレビ局から入院費は私の局で払うから安心して幾月でもおいでなさいといってくれた、できるだけのことをするがよいお金は幾らでもだしてあげるという有難いおことばに、『噺家に貯金なんてえものはいらねえなあ』と始めてわかった」と言える晩年は幸福なものだと感じられます。
  • 健太郎の解説で紹介されている「頑固一徹で厳しい人であったと伝えられるが、東京大空襲で家族を失った竿師『竿忠』の兄弟を引きとった、人情家でもあった。妹は、長じて初代林家三平夫人となる海老名香葉子さんである」というエピソードは知りませんでした。