- 京須偕充によると、「仏壇を買い換える道楽は、話を噺にするための少し無理な設定だ。お花という嫁を死なせてしまうのは落語としては暗い選択である。それでも全体的に起伏があっておもしろい噺」、「夏の噺で、洗い髪に白い薩摩絣の女というイメージは風情がある。その菊江がちょっと殊勝なサゲを言うことで不幸なお花も少しは救われる感がある。女の色香と芸者遊びの気分を描き、倅と番頭の駆け引きをおもしろく聴かせる力を要する至難な噺」とのことですが、桂米朝も以下のとおりとにかく難しいことを強調。
- 「まず第一、登場人物がむやみに多く、そしてそれが船場の大店の親旦那であり、そこの道楽者の若旦那であり、一見律儀でそのくせ裏を返すと・・・・・というという番頭であり、老若さまざまなタイプの奉公人、そこへ北の新地の美妓、菊江であり、さらに当時の男性の理想像とも言うべき、お花という若嫁が、・・・・・表面上は出てこないが、蔭の存在として人々の対話の中に浮かび上がって来なければなりません。それぞれの人物表現だけでも至難なことです」
- 「つぎに、一人の長ゼリフが延々と続く」
- 「佐助の酔態、これも大変です」
- 「しかし何といっても、この噺の難しいという一番大きな原因は、この作自体が『たちぎれ線香』のおうな名作ではないこと」
- 以下分かった範囲でメモ。
- 楽しみは、後ろに柱、前に酒、左右に女、懐に金=男の勝手な夢というか妄想・欲望を詠んだ狂歌。床柱を背負い、前に酒を置き、左右に美女をはべらせて、懐にはたんまり金がある、という茶屋遊びでの大散財のような状況をいう。
- 偕老同穴=夫婦が仲むつまじく、契りの固いこと。「詩経」邶風・撃鼓の「偕老」と「詩経」王風・大車の「同穴」を続けていったもの。
- 白鼠=主家に忠実に勤める使用人。特に、番頭のこと。福の神の使いで、それがいる家は栄えるからとも、鳴き声がチュウ(忠)であるからともいう。
- 洗い=新鮮なコイ・コチ・スズキなどを薄く刺身に作り、冷水で洗って身を縮ませた料理。
- 水貝=生のアワビを塩洗いして身を締め、角切りにして氷を入れた塩水に浮かせた料理。三杯酢などで食べる。
- 本膳=日本料理の正式の膳立てで、二の膳・三の膳などに対して、主となる膳。飯・汁・なます・煮物・香の物をつけて客の正面に据える。一の膳。
- あんまき=愛知県知立市名物の和菓子。薄く細長いホットケーキ生地で餡を巻いたもの。
- はつ=マグロの呼称の一つ。
- 鱧の落とし=鱧の湯引き
- 生節=カツオの肉を蒸し、一度だけ火入れして生干しにした食品。煮つけや酢の物などにして食べる。
- 海布(め)=ワカメ・アラメなど食用にする海藻の総称。
- 百匁蝋燭=重さ約375g、長さ約30cm。
- 帷子=夏用の麻の小袖。
- 単衣帯=厚地の、かたい織物を用いて裏や芯をつけない帯。主に女帯で夏に用いる。
- 若旦那が番頭を追い詰める場面の間が素晴らしくて、「番頭」「へぇ」「これお前と違うか」という辺りのやりとりは何度聞いてもジンワリと可笑しい。
- 「くやみ」は桂枝雀「十八番」にも収録されていましたが、「葬礼の帳場−その受付風景、くやみを述べにくるさまざまな人のスケッチ・・・・・というだけで、筋もサゲもないはなしのようですが、実はこれは『胡椒のくやみ』のおいしいところだけ抜き出したもの」とのこと。
- ノロケが暴走する展開は、桂枝雀がツボにはまったときの破壊力と比較してしまうと、生来の品の良さが漂う桂米朝は分が悪いかもしれませんが、「奥の方へ気がねをしながらのろけを続けてゆくところに一番のおかし味があります。葬式の会場というものは陰気であるはずなのに、何となくザワザワと陽気な面もあるものです。その雰囲気がチラチラと出たら・・・・・と思うのですが・・・・・」という演出の意図には一定の説得力があります。
- 以下分かった範囲でメモ。
- 次集、ラスト第四十集は「こぶ弁慶」と「子ほめ」。