角幡唯介「空白の5マイル−チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」

空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む

  • ツアンポー峡谷探検史は極めて興味深く読ませますが、著者の2度の探検行については、つまらなくはないのだけれど、どうも腑に落ちない感じが、読んでいても、読み終わった後も消えません。
  • 考えてみるに、「人跡未踏」が強調される割には、「途中で何カ所か猟師が仕掛けたわなが見つかった。このあたりまで来る猟師もいるようだった」、「小さい頃、親父に連れられて行ったことがある。でもどうやって行ったのか、あまり覚えていないなあ」(地元ポーターの話)、「信じられないことだが、ここには少なくとも50年ほど前まで人が住んでいたのである」というような記述が出てくることが引っかかっているような気がします。
  • 探検家的には「空白」かもしれませんが、個人的にはあまり「空白」には感じられないということでしょうか。
  • 著者本人も「今の時代に探検や冒険をしようと思えば、先人たちの過去に対する自分の立ち位置をしっかりと見定めて、自分の行為の意味を見極めなければ価値を見いだすことは難しい」と書いていますが、「探検」というものの定義・本質に関わる問題かもしれません。個人的にはあまり意味が分かりませんでした。
  • どうしてもレドモンド・オハンロンコンゴ・ジャーニー」を思い出してしまうのですが、チベット最深部の単独行を、見たい、聞きたい、体験したいという底なしの欲望を全開にした怪著と比較するのは適当ではないのでしょう。