新潮社編「私の本棚」

私の本棚

  • 転居後、2ヶ月以上経過したにもかかわらず、本棚を未購入で床に積みっ放しで、いい加減になんとかしようと決起。
  • 検討するに当たって、もう少し色々と他人の本棚を見てみたくなり、調べてみたところ、内澤旬子「センセイの書斎−イラストルポ『本』のある仕事場 」、「本棚が見たい!1〜3」といった辺りを狙い目に。まずは本を読んで検討というのは本末転倒という気もしますが。
  • こればっかりは現物を見ないとしょうがないので、実店舗で物色した結果、購入したのは新潮社編「私の本棚」とひよこ舎編「作家の本棚」の2点。まずは前者から。「yom yom」掲載のシリーズ・エッセイをまとめたもの。
  • 期待していなかった本棚の写真が一部載っていて嬉しい。児玉清(「世間には、一度読んでしまった本はもうどうでもよくて、他人にさっとあげてしまったり、或いはポンと捨ててしまう人がいるようだけれど、そんなこと僕には到底できないし、理解もできない」)の几帳面な本棚が微笑ましかった。
  • 小野不由美が書いている「ところができてみると、『天井までの本棚』は実際的ではなかった」、「手が届かない、目も届かない」というのは、一見とてもプラクティカルな知恵のような気もしますが、すべての本を頻繁に読み返すものでもなし、それぐらい使いようだろうという気がします。
  • 当方は稀覯本のコレクターでもたいした読書家でもありませんが、都築響一の「やっと気がついたこと、それは『コレクションって、結局はカネの勝負だ』という単純な事実だった。(中略)そう思うようになってから、『蔵書に埋もれて一生を送りたい』という気持ちがすっかり失せてしまった」、内澤旬子の「たぶん自分がこれから持てる場所や時間があまりにも小さく短く、本だけが増えすぎている、という当たり前の現実に気付かされたからだろう」という心情にシンパシーを感じます。
  • BRUTUSの特集「古本屋好き」を読んで以来、早稲田古書店街などを攻めてみたい気持ちがあったのですが、都築響一古書店評「でも、神保町的な老舗古書店のほとんどに、いま、この時代の本好きたちのエネルギーやスピードに乗っていく能力は、もうない。何十年もかわらない品揃えに、夕方にはシャッターを下ろし、日曜日はお休みという、大学の先生か隠居老人ぐらいしか行けないような営業態度。そして番台みたいな机の向こうから、常連以外のすべての客をじろりとにらむ、ものすごくフレンドリーじゃない接客スタイル。本を出したり入れたりしているだけで、指が真っ黒になってしまう不潔な店内。もちろん、座って読めるような場所もない・・・・・」に気持ちが萎えました。
  • 本棚と直接的に関係ありませんが、都築響一が紹介する稲垣足穂のプロフィール(「布団はない。枕もない。唯一の蔵書である広辞苑を、枕代わりにして、酔っぱらった頭を冷やしながら、夢を見ていたのだった」)と福岡伸一が紹介するレーウェンフックのエピソード(「しかし、彼は最初、その依頼を断った。『自分には学問もないし、英語も書けない。自分の研究についてあれこれ批判されるのもいやだ』と。しかし、再三の依頼を受けて、レーウェンフックは記録と顕微鏡観察画をロンドンに送り始めた。いったん始めるとその勢いはすごかった。微に入り細にわたる膨大な記録を以降、50年間、200通以上送りつづけたのである」)が面白かった。
  • 読み物としては、鹿島茂「愛人に少し稼いでもらう」が最高。古書にはまるきっかけ(パリの風俗のことを調べる必要が生まれ、(中略)バルザックなどが寄稿したパリ風俗観察集『パリの悪魔』に出会い、十九世紀古書の魅力に取りつかれてしまった」、「大学図書館の特別予算枠を使ってこれを購入してもらったのだが、借り出してきた『パリの悪魔』の扉にべったりと押された図書館の公印を見て、私は取り返しのつかないことをしたと悟った」)、古書購入のための借金遍歴(「ときあたかもバブル時代。横浜の実家の土地を担保にすると、いくらでも銀行は貸してくれた。(中略)だが、1990年に入るや、突然のバブル崩壊。気がつくと借金は数億円に上っていた」)、借金返済のために始めた文筆業(「こうして『書きまくり』の生活が始まった。来た注文は高かろうが安かろうがすべて引き受けた」)、書庫を撮影スペースとして貸し出すというアイデア(「所有している革装丁の本ばかり並べておけば、重厚な書斎イメージが欲しい人にスペースをレンタルできるのはないかと」。「愛するあまり憎しみが募ってきていた愛人が自分のマンション代くらい自分で稼ぐと言い出したようなものである」)と、最初から最後まで面白く、本書中ベスト。