- 桂枝雀のDVDボックス。ディスク3は「天神山」(1985年4月16日)と「くしゃみ講釈」(1986年12月14日)。 コメンタリーは小佐田定雄に加えて、「天神山」が桂ざこば、「くしゃみ講釈」が桂雀々。
- 京須偕充によると、「人形浄瑠璃や歌舞伎で知られる『芦屋道満大内鑑』、いわゆる『葛の葉子別れ』のパロディを主体にしている」、「ケレンをふくめて、芝居噺であることが最大の特徴だから、桂文枝の高座が第一である。源助と安兵衛、二人の主役の変人ぶりで最大の笑いを生むのは桂枝雀だ」とのこと。
- 「野ざらし」というか「骨つり」に似た展開。桂米朝「骨つり」では「別嬪やへちゃや言うたかて皮一枚の仕業や」となっていましたが、こちらでは「骨隠す皮には誰も迷うなり好きも嫌いも皮の業なり」と川柳が付いています。
- 「安兵衛はコン」〜「あ、伯父さんも狐だ」とサゲるのは東京版「安兵衛狐」なんでしょうか。「貸家道楽大裏長屋、愚図の嬶の子放ったらかし」でもなく、障子に書き残された「恋しくば尋ねきてみよ南なる天神山の森の中まで」(「恋しくばたづねきてみよ河内なる信太の森の恨み葛の葉」のパロディ)の歌を書き残すところであっさりと切っています(「ある春の日のお話でございました」)。これが格好良くて学生の間で人気があったとのこと(小佐田定雄談)。
- ハメモノの入る噺は芸風とあっているのかどうかよく分かりませんが、優良事例と考えて良いのでしょうか。
- 「は〜は〜は〜は〜は〜?」という酔態には、なぜこのボックスに「首提灯」(「上燗屋」)が収録されなかったのかという残念さが思い起こされてなりませんが、「独酌ふんどし」という駄洒落は意外と後を引きます。
- いきなりぶっ倒れて、後から子どもに後ろから石を投げられていることが分かる演出が、後姿と相まってとても可笑しい。
- 「くしゃみ講釈」は、昔観たことのあるもう少し古い映像も極めて魅力的でしたが、こちらも汗まみれの大熱演。講釈師・後藤一山との因縁(「わいと犬糞の二人連れ」)、八百屋の件(「そっくり一段語ったってん」)、クライマックスの講釈(「ぶんぶの背中はピ〜カピカ」)と、全編ダレ場なく笑いどころ。
- 覗機関(のぞきからくり)=箱の中に、物語の筋に応じた幾枚かの絵を入れておき、これを順次に転換させ、箱の前方の眼鏡を通して覗かせる装置。「八百屋お七」=江戸本郷の八百屋太郎兵衛の娘。幼い恋慕の挙げ句に放火未遂事件を起こし、それが後に浄瑠璃等芝居の題材となったことで有名。半札=割引券、丸札=招待券。故障=文句。といった辺りの事柄に馴染みがないのが初見の際には玉に瑕ではありますが、この面白さの前には些細なことです。
- 縅(おどし)=鎧の札を革や糸でつづり合わせたもの。白檀磨き(びゃくだんみがき)=金箔置きの上に透き漆を塗ったもの。白檀の木を磨いた色に似る。前立物=兜の立物のうち前面に付けられたもの。錣(しころ)=兜・頭巾の左右・後方に下げて首筋を覆う部分。
- 良い調子の講釈とくしゃみのリズミカルなミックスは、口真似がしたくなります(「白檀磨の籠手脛当、びえ〜くし!」)。
- 兄弟会で受けなかった日(確か「親子茶屋」とのこと)に「何の実験してたん?」と桂ざこば(朝丸)に訊かれて情けなかったというエピソードが微笑ましい。
- 桂雀々のコメンタリーは、教わったときの苦労話を楽しそうに語ったり、「胡椒の粉、昨日から売り切れですわ」のところで「転けた!」と大笑いしたり、「おけら、けむし、げじ」の歌を一緒に歌ったり、愛情に満ちていて良かった。「十八番の中でもベストスリーに入る」との評価には強く同意します。